僕は生まれてこの方バレンタインをもらったことがない。
本命をもらったことがないんじゃない、義理チョコすらもらったことがないのである。
どんな陰キャでもお情けで2,3個はもらえるだろう。
日本中見渡しても人生で一度もバレンタインをもらったことがない人間なんて僕以外見つかるとは思えない。
不登校だったとか、保健室登校でクラスメイトと喋ったことがないとか、そういう特別な事情があったわけじゃない。
普通に登校して、授業を受けて、学生生活を送っていたのにだ。
バレンタインデーには嫌な思い出しかない
中一のバレンタインデー。
当日は朝からもらう気満々で席に着いた。
チョコレートを渡し渡される光景が目の前で繰り広げられていたが、まだ始まったばかりだと心をなだめた。
昼休み、心なしかその日はやけに教室にいる人が少なく感じた。
僕と同じくやることがない陰キャ友達が熱心に趣味の話をしてきてくれたからそれを聞いて昼休みを過ごしていた。
するとふいに陽キャが通りかかって
「ほんとは興味ないでしょ。」
と言い去っていった。
図星だったから思わず苦笑いして、彼から視線を逸らし友達の方に視線を戻した。
傍から見たら陰キャの可哀想な姿が教室で目立っていたのかもしれない。
陰キャがチョコをもらえるかどうかを気にしてそわそわする姿はさぞ滑稽だっただろう。
僕の浅はかな魂胆はいとも簡単に見抜かれていたのだ。
今でもたまにこの時のことを思い出しては暗澹とした気持ちになる。
昼休みの間中僕は女子の方をチラチラ見ていて何度も目が合ったが、その度に蔑むような視線を向けらた。
結局何も起こらないまま昼休み、午後の授業と終わっていき、放課後になっても一向に渡される気配はなかった。
帰り際、ロッカーや下駄箱に何か入っていないか確認したりして、でもそこはいつも通りの状態で、落ち込みながら部活に向かった。
部活でも何もなくて、それでも家のドアを開けるその瞬間まで期待していた。
帰り道に呼び出されて二人きりになったところで告白されちゃったりして…なんて妄想をしつつ友達と下校した。
結果、一つたりとももらうことはなかった。
期待外れもいいところだった。
淡い期待は砕け散り、代わりに落胆とともに激しい羞恥心が僕を支配した。
毎年のように母親から「チョコもらった?」と聞かれ「いや。」と答えてきたが、今年もまた同じやりとりを繰り返した。
翌日からホワイトデーまでの一か月間は絶望的な毎日だった。
友達に何個もらったか聞かれたり、何個もらったと報告されたり、僕より下だと思っていたいじめられっ子がもらっていて自慢されたり、散々であった。
僕は僕だけを執拗にいじめてくるこの世界を恨んだ。
学校中の女子から嫌われていた
今思えばもらえないのも当然で、頻繁に問題を起こしクラスメイトや先生に迷惑かけていたためクラスで浮いていたし、女子と話す機会はほとんどなかった。
当時、僕は自分を客観視できない問題児で、みんなが僕に対して決して好意的な印象を持っていないことに気付くことなく能天気に中学校生活を送っていた。
それでも小学校の頃に比べたらずいぶんマシにはなっていたんだけれど、元があまりに酷かっただけで相変わらず周囲から浮いていた。
おそらくバレンタインのチョコをもらっていないのは、同じ学年では僕ともう一人だけだと思う。
そいつは暴力的で常に不貞腐れた態度を取っていて友達もいなかった。
僕はそういうレベルの人間と同じように思われていたのだ。
中学校の卒業式に手紙とクッキーをもらった
卒業式の日に何人かの女子がクラスメイト全員に手紙とお菓子を配っていて僕にも渡してくれた。
手紙だけくれた人と、お菓子をくれた人と、どっちもくれた人がいた。
お情けでくれたのだと思う。
三年の時はかなり異常行動を抑えられており、いじられキャラとしてある程度馴染めていたからなのかもしれない。
もらったお菓子は見た目からして歪で、手作りなのだとすぐに分かった。
小腹が空いていたから食べてみた。
はっきり言ってまずかった。
こんなものが売っていたら絶対買わないだろうと思った。
空腹という最高のスパイスをもってしてもこの味なのだから、相当作るのが下手か、適当に作ったのだろう。
料理としては三流だが、どんな理由であれ他人から手作りのお菓子をもらったという事実は僕を満足させるには十分だった。
しかしこれは2月14日に渡されたわけではないし、そもそもバレンタインではなく卒業祝いのようなものなのでカウントしていない。
母親からのチョコ
そういえば母から毎年もらっている。
手作りのチョコクッキーやチョコケーキ、たまに市販のチョコレート(ゴディバの)。
別に嬉しいと感じたことはなく、誰からももらえない僕を憐れんでの行為に過ぎないからと気にも留めていなかった。
お返ししないことが何度もあって、その度に僕と母の間に険悪な空気が流れだす。
お返しのことを考えるのがめんどくさくて知らぬ存ぜぬを貫いていたら、ホワイトデーの夜に呼び出されて叱られた。
普通学校でチョコをもらって、親にそのお返しをどうするか相談して色々教えてもらうんだろうが、生憎僕にはそんな経験は皆無だ。
そのためお返しにチョコを買いに行くのが慣れないことで恥ずかしさに勝てず、行けなかったというのもある。
もらっても嬉しくないし余計なお世話だよって思ってた。
去年は適当にコンビニでチョコを買って渡したら喜んでくれた。
後日、チョコが入っていた箱が棚に飾られており、なんだか罪悪感で胸がいっぱいだった。
今年はちゃんといいものを選んで渡そうと決めている。
彼女いない歴=年齢は恥ずかしいことだが、それ以上にバレンタインに義理チョコすらもらったことがないという事実が黒歴史になっている。
昨今若者の恋愛離れが声高に叫ばれているくらいだから、彼女ができたことがないのはまだ許されるかもしれないが、僕のような人間はそういない。
絶滅危惧種を見つけるよりも難しいと思う。
もしこのことを告白すれば人間的に何かが欠落していると考えられてしまう。
実際その通りなのだが、可哀想な生物だと憐みの視線を向けられるに違いない。
そう考えるだけで、誰にも見られていないのに恥ずかしさのあまり赤面してしまう。
昔からバレンタインデーが嫌いだ。
一生好きになることはないだろう。
これから先この黒歴史を隠し、劣等感に苛まれながら生きていかなくちゃならない。
みんなチョコレート会社の陰謀にまんまと踊らされやがって。
そのせいでとばっちりを受ける羽目になったじゃないか。
つくづく僕は神様に愛されていないなと思う。