日記

元マザコン、大学不登校の親不孝者が母の日に「愛をこめて花束を」贈った話

僕はその昔、マザコンだった。

母親が寝そべっているところにすり寄って、

「ママ~♡」

と言いながらお腹に顔をうずめていた。

中学に入るくらいまでは一緒にお風呂に入っていた記憶がある。

何でもかんでも母親に打ち明けないと気が済まなくて、それゆえ地雷を踏むこともあった。

時の流れは残酷で、次第にそれらを恥ずかしく思うようになり、呼び方も「ママ」ではなく「母さん」に変わった。

会話する中で母を怒らせる機会は減ったものの、当たり障りないことを言って荒波を立てまいとしてる。

成長して大人に近づいたと考えればこれでいいように思えるが、本音で語ることはなくなった。

良いか悪いかはさておき、少なくともあの頃の僕は、ありのままで生きられてた。

お花屋さんへ 

母の日にプレゼントを贈ろうと思い、やはり定番のカーネーションがいいだろうということで、近くの花屋に行くことにした。

その日、休日の日課となりつつある父との散歩に出かけ、スタバでお茶していた。

初夏のような暑さで、冷たいものが飲みたくなったから、ダークモカチップフラペチーノを啜っていた。

あまりの冷たさに歯が沁みたため、顔中に皺を寄せて耐えていると、父にお金を渡され、

「母の日だからこれでなんか買いな。おつりはおこずかいとしてあげるから。」

と言われた。

例年、僕が母の日に知らぬ存ぜぬの態度を取って嫌な空気になり、今年もそうなることを恐れたのだろう。

「もともと今日買う予定だったよ。」

僕はそう言いながらも、偉人の描かれた紙をありがたく頂戴し、懐に忍ばせた。

父は

「ママは花より団子」

と言ってケーキを買った。

その後、父はスーパーに夕飯の食材の買い出しへ、僕は花屋へと向かった。

 

こじんまりした花屋で人がいるところを見たことがなかったが、母の日ということもあり、店頭に置かれていた詰め合わせを見ている人がちらほらいた。

僕もそれに混じって眺めてみたが、これといったものがなかったから、オリジナルに作ってもらうことにした。

店の奥に入り、店主のおばさんに声をかけ、予算を伝えると、安くて見栄えがいいようにやってくれるという。

数種類の花を取り、ラッピングしてくれた。

待っている最中、手持無沙汰で辺りをきょろきょろと見まわしていると、作業台の隅にあるマクドナルドの袋と飲みかけのジュースが目についた。

もっと栄養価の高いものを食べてほしいと思った。

世間話もろくにできない僕は、作業中の沈黙に内心怯えていたが、店主は別段そんなこと気にも留めない様子だった。

出来上がったものを受け取り、店を出た。

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花束を持って街を闊歩していると目立つのか、行き交う人の視線を感じる。

しかしそれは、今まで僕が苦しんできた類のものではなかった。

そこに嘲笑の意は込められておらず、むしろ「親孝行な息子さんだな~」と感心されていた。

僕は思わず優越感に浸った。

 

通りすがりの子供が僕の手に収まっている花を見て、

「あのお花な~に?」

と指さした。

彼の父親は、

「あれはカーネーションだよ。ママに“ありがとう”を伝えるものなんだ。」

と答えた。

そのやりとりを見て、僕は胸のあたりに微かな温もりを感じた。

小さな花束を渡した

夕食後、母のところに行き、

「母さん、いつもありがとうございます。感謝の気持ちです。」

と言い、携えていた花束を手渡した。

「あら! ありがと~!」

その花束が値が張ると思ったのか

「お金は大丈夫だったの?」

と笑いながら聞いてきた。

「花瓶がないわ」

母はそう嬉しそうに言い、家にあったガラスの空き瓶に水をはって花を飾った。

 

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日頃の感謝と同時に、「いつも迷惑かけてごめん」と言うつもりだったが、その一言で嫌なことを思い出させてしまう気がしたから内に秘めておいた。

感謝を伝えて、すがすがしい気持ちになった。

優しい言葉を人に投げかけると、相手も嬉しいし、自分も満たされた気がして、結果、皆が幸せになると思う。

良い終わり方 

今死ねば

「ほんとはいい子だったのね。今まで色々あったけど、やっぱり生きてほしかった……。」

と、ハッピーエンドじみたものに様変わりする。

迷惑をかけたこと、犯してしまった過ち、失敗したこと、悪かったこと、すべてキレイな思い出にすり替わる。

それは僕が望む、最高の終わり方なのではないか。

終わり良ければ全て良し。

そうやって、いかにして人生を綺麗に終わらせられるだろうってネガティブな考えが、ふと脳裏をよぎった。

死ぬ勇気のない僕はそんな煩悩を振り払った。

母の死を願ったこともあった

母はヘビースモーカーなわけだけれども、仲違いしてるときは、肺がんに罹って死ねって本気で思ってた。

「あいつさえいなければ僕は悩まなくて済むのに!」って。

家の中でフラストレーションを溜めては外で

「死ねクソババア!」

って叫んで吐き出してた。

でもよく考えれば、大学生にもなって外に出ず、働かず、寝腐って、家の手伝いもせず、不愛想に食事を貪り食って排泄を繰り返す奴がいたら、そりゃ当たりたくもなるよなって。

こんな逆恨みをするような奴だから僕は今まで、父の日、母の日、両親の誕生日、まともに祝ったことがなかった。

誰よりも迷惑をかけてきたのに、人一倍感謝しなければならないのに。

今年もあげるか迷ってた。

もしあげた後に喧嘩したら意味がなくなると思ったから。

一つダメになったら「全部意味なかったんだ!」ってやけになってしまう、完璧主義者特有の思考。

これからまた険悪な雰囲気になったとしても、感謝の気持ちを伝えたことは決して無駄にはならない。

「ママの味」

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*1

マックシェイクのミルキー味が期間限定で出ていたため飲んでみた。

練乳を飲んでいるみたいで気持ち悪かった。

キンキンに冷えているからまだマシだったが、これがぬるかったら中身をアリさんたちの餌にしていただろう。

僕にとっての「ママの味」とは何だろう。

みそ汁、ハンバーグ、カルパッチョ……和食からイタリアンまで幅広く料理を作ってくれたから、どれか一つに絞るのは難しいや。

真っ先に浮かんだのは「肉じゃが」だった。

甘くてご飯が進む味付けで、ニンジン、ジャガイモ、豚肉(牛肉の時もあった)、玉ねぎ、しらたきが入っていた。

タレの染み込んだジャガイモと肉を噛みしめた途端、口の中が唾液の洪水で氾濫するほど美味であった。

親である前に一人の人間なんだ

僕のような不愛想で可愛げのない奴に、愚痴を言いながらも毎日栄養満点で美味しいご飯を作ってくれていたというのに、いつからかそれを当然だと思っていた。

あろうことか、ご飯を作ってもらっても、服を洗濯してもらっても、学費を払ってもらっても、何もかもをやってもらって当然だと思っていた。

恐ろしくふてぶてしい態度で生活していた。

そのせいで周りがピリピリしてるのに、「僕が苦しんでるのにみんなわかってくれない!毒親だ!」って被害者面してた。

僕の両親が毒親なんてとんでもない。

他ならぬ僕こそが、“毒息子”だったのだ。

いくらこの世に産まれたことが嫌でも、20歳を過ぎたらもう大人。

親に責任転嫁していい年齢じゃない。

親は神様でもお世話係でもない。

感情もあるし、自分の人生だってある。

一人の“人”としてリスペクトして接していくべきなのだ。

こんな当たり前のことに今更気づいた。

遅すぎるよね。

それでも、僕の人生は間違いなく好転していくだろう。

だってちゃんと気付けたから。

確かに遅かったけど、一生気づけない人もいるから。

まだ何十年もある長い長い人生だけど、感謝することさえ忘れなければ何とかなる。

そんな気がしてる。

これからも死にたいと思うことは何度もあるだろう。

そんな時でも苛立ちを表に出さず、上機嫌に過ごす。

もう周りの人、家族に迷惑をかけるような真似は決してしない。

そうやっていれば自然とネガティブな気持ちも収まり、希死念慮とうまく付き合っていけると思う。

畢竟、人生ってのは、自分がどう思うか。

「僕は世界でいちばん不幸だ」なんて言って悲劇のヒロインを気取ればその通りになるし、逆にお金がなくても今ある物や環境に感謝の気持ちを持っていたら幸せになるんだよ。

傍から「生きてて楽しいの?」と言われるような収入だったとしても、いつもニコニコしていて、関わる人みんなが笑顔になるような人に、僕はなりたい。

 

ソファーに腰かける母が目に入った。

僕は勢いよく胸に飛び込み、気の済むまで揉みしだいた。

溢れ出る体温が心地よく、柔らかなまどろみに落ちていった。

気が付くと僕は、子宮の中にいた――。

*1:路上でしゃがみ込みながら撮ったため、通行人に見られた。