日記

大学に休学を断られ、50万円ドブに捨てることになった

休学できなかった

休学できるかどうか聞くために、大学の学生課に電話した。

去年の履修登録時、前期でオンライン授業は終わり、後期から対面が始まると思っていたため、全ての授業を前期に詰め込んだ。

そして半分ちょっと落とした。

後期は1単位も履修していないため、何もすることがない。

だから授業料を払う意味がなく、休学しようと思っていた。

休学願の提出期限は11月末だった。

もう1か月以上締め切りを過ぎているが、特例で認めてくれるんじゃないかという甘えがあった。

大学側も学生に退学されたら授業料が得られず損するわけだし。

だが、その期待は見事に打ち砕かれた。

期限を過ぎた今からでも休学が許可されるのは、コロナで収入が減って学費を払えない場合だけらしい。

あいにく僕の場合、コロナで父親の収入が激減したということはなく(残業が減ったため、その分わずかに収入が減ったみたいだが)、メンタルヘルスの問題だ。 

後期は一単位も取っていないのに、50万円払うことになってしまった。

去年の後期は一応2単位だけ取れていたため、全くの無駄ではなかったと思い込めるが、さすがに1単位も取れないとその50万円は何の意味も持たない。

50万円稼ぐことは、半日でバイトをバックレてしまう僕にとっては相当な苦労を要し、途方もなく遠い道のりに思える。

そのお金があれば色んなものを買えるだろうし、経験もできるだろう。

自分のくだらない羞恥心と甘えのせいでそれを手放すことになってしまった。

学費を払わなければ退学か除籍になるため、卒業する未来のことを考えれば大いに意味はある。

だが、様々な可能性が消えうせ、そしてその負債を抱えながら身を粉にして働くことになる。

こんなことを書きながらも、今はそこまでの危機感はないけれど、無事卒業して働きだしたら奨学金という借金の重さに押しつぶされるんだろう。 

父親にこのことを伝えると、

「過ぎたことは気にするな。笑って前向きに考えればいいさ。」

と、全く怒るそぶりを見せることなく陽気な態度で接してくれたため、幾分か気が楽になった。

端から休学できるとは思っていなかったみたいだ。

奨学金が復活する可能性

来年の授業料のことを考え、奨学金が再開される基準と、申請方法を聞くため電話した。

最初は初々しい男性の職員だったが、正確な情報を知らなかったためか、途中でお姉さんに変わった。

具体的な単位数を聞いたところ、今年度10単位取れていれば復活すると言った。

休学できないと知り、少し落ち込んでいた心が大きく跳ね上がるのを感じた。

フル単に近い単位数じゃないと復活しないものだと思っており、ダメもとで確認したのに棚から牡丹餅だった。

これで少なくとも、来年度の後期からは奨学金で払えることになった。

親との話し合い

「去年よりも明るくなったな。笑顔が増えた。前は能面のようだった。秘密を抱えてバレないよう必死だったんだよな。隠そうとしたってそのうちバレて、結局一緒に協力して頑張るしかないんだし。学生ができることなんて限られてるんだから、もっと大人を頼れ。」

そう父は言った。

続けて

「お互いに頑張って行こう。困ったことがあれば何でも相談してくれ。悩みを共有しよう。」

という言葉を僕に向けた。

僕自身も以前より自然体で生活できているなと感じていた。

何かを隠しながら、そしていつバレてもおかしくない状況であれば誰だって気が狂うし塞ぎ込んでしまう。

もうそんな生き地獄には戻りたくない。

隠し事はなしで、正直に生きていく。

 

一通り父に話し、その後二人で母のもとに行き状況を説明した。

今年度の後期の学費と来年度の前期の学費を工面して払ってもらうことになった。

学費滞納がようやく解消されそうで一安心だ。

これからの目標を話し合った。

まず来年度はフル単する。

そのために今からある程度予習しておく。

去年買ったテキストがあるからそれを使う。

次にバイトする。

いきなり社会人になるよりも、バイトで社会経験をして慣れた方がいいと父が言っていた。

あと、フル単することを前提として、勉学以外で何か取り組んだ方がいいと言われた。

就活のためだけじゃなくて、今後の人生にもいい影響をもたらすから。

留年したからこそ何か新しいことにチャレンジしてみようって。

失敗してよかったと言えるように未来を変えていくということだろう。

これは、普通の人ができることもままならない今の僕が考えるべきことではない。

いっぺんに色々やろうとしたら頭がパンクする。

僕はそんな器用な人間じゃない。

不器用で何もかも平均に達しないダメな人間だ。

目標と今の自分の能力との乖離が激しすぎて、感情が破裂してぐちゃぐちゃになってしまうだろう。

地道に一歩一歩、目標をクリアしていく他ない。 

 

地図は完成した。

あとはそれに従って航海するだけだ。

くじけそうになった時は、船の乗組員に頼ったりして、支えてもらいながら。

そしていつか、人並みの人生を送れる日を夢見て、例え嵐で荒れ狂う海だとしても、突き進むんだ。

年末に記事がバズった感想と、不登校がバレた後の過ごし方

あけましておめでとうございます。みぃです。

年末に書いた記事がバズって様々な方から反応を頂いたのでそのことについてと、親に全てバレた後どのような年末年始を過ごしたのか書きたいと思います。

 年末の記事がバズった

年末に今まで隠してきたことが親にバレた。

そのことを記事にしたところ、はてなブックマークを中心にバズった。

b.hatena.ne.jp

blog.hatenablog.com

元旦の朝にパソコンを開いてみたら無数の通知が届いており、はてなブックマークで一位になっていた。

はてなブログのトップページに載ったり(今現在も)、5chにスレが立ったり、ニュースサイトに掲載されたり、様々な方にnoteやブログで題材として言及していただいた。

ブログに書きこまれたコメントや、はてブのコメント、ツイッターでリプライやDM、引用してくれた方々、全部は拾い切れていないが、大体は目を通した。

批判や誹謗中傷もあったが、多くが父親への称賛で、僕の将来に期待してくれる方もいた。

ためになるアドバイスもあって、生かしていきたいなと思った。

記事を書いている身としては、どんな内容であれ反応がもらえるのは素直に嬉しい。

その中でもポジティブな類のものであれば格別だ。

記事を読んで感動した、涙が出た、胸が温まった、などのコメントを見て、僕自身も心が癒された。

人の温かさは人を、そしていつかは世界を救うんじゃないだろうか。

そう錯覚するほどに。

自分の置かれた境遇に感謝するとともに、成長できるように精進していきたい。

過去記事が炎上した

 バズの代償かもしれないが、過去記事が掘られてそれが炎上した。

一年ちょっと前に起きた、マクドナルドでの出来事を書いたのだが、それが今になって伸びてしまった。

政治経済カテゴリーでブックマークに載っていたが、政治に関するニュース記事の中に僕の記事がぽつんと並んでいたのが、実にシュールだった。

あの時の行いは、今の僕では考えられないことだし、これからもそんなことはしないが、少なくともあの時の僕はああするしかなかった。

感情のコントロールができなかった。

昂る気持ちを抑えることは、追い込まれていた僕には至難の業だった。

人生に絶望して、自暴自棄になっていた僕が起こしたあの行動は、少なくとも当時の僕が仕方なくやったことで、それを責めることはできない。

良い悪いの問題ではなく、弱者の心理状態を思えば当然の帰結だろう。

 

この記事がアルファツイッタラーに晒され、ツイッターで拡散された。

そしてツイートを見た悪質なユーザーが、「甘えるな。自業自得。早く○ね。○したい。」などの暴言をブログ記事のコメント欄に書き込み、その結果荒れてしまった。

誹謗中傷や脅迫行為をされ、精神を傷つけられた。

彼らは僕の繊細な心を、無惨にかき乱した。

日頃のストレスを赤の他人に発散する、愚かな野蛮人だ。

筋の通った批判は建設的な議論ができるし生産性があるが、ただ己の憎悪を吐き散らしているだけのものは、決して言論ではない。

こういう人たちを相手にしないのも、一つの手なのかもしれない。

とてもいい気分で正月を過ごした

お年玉は三万円もらった。

内訳は親から二万円、祖父母から一万円だ。

もらえるとは思っていなかった。

21歳という年齢もそうだが、奨学金が止められたため、足りない分の学費を払ってもらうことになっているからだ。

余裕がないはずなのに渡してくれた。

申し訳ないという気持ちもありつつ、しかしせっかくの親の善意なのだから、遠慮なく受け取った。

無駄遣いはせず、大切に使おうと思う。

 

年末から年始にかけて、お高いお肉を使ったステーキ、刺身、年越しそば、おせち、ぶりしゃぶなど、美味しいものをたらふく味わった。

食卓を囲んでいても、以前は黙り込んで不機嫌に食事を飲み込んでいた。

僕一人いるだけで場の空気が重々しくなった。

気まずい空間からいち早く逃れるために、味わいもせず必死に喉を通して胃に放り投げていた。

しかし、全部白状してから、自然に、心から笑えるようになった。

社会不安障害の症状で、まだ引きつったりうまく笑えないこともあるけれど、本来のあるべき食事の時間に近づけたのかもしれない。

“一家団欒”とやらができているのかな。

親に対する隠し事がなくなり、解放感でふわふわとして夢心地だった。

心が穏やかになって、お互い気軽に話せるようになった。

そして感謝と尊敬の念を抱いて接することができた。

清々しい心持ちで年を越し、良い正月を送れたと思う。

 

高校卒業から、ことあるごとに死にたいと思っていた。

何かにつけて死んだら楽になれるのかな、と自死が脳内選択肢に浮かんできた。

痛みなく天国に行けるのなら、迷わずその道を選んだだろう。

でも、気づけば希死念慮は、残像すら残さず消え去っていた。

そして、現状への安心感と、未来への希望がこの胸に募っている。

 

慌ただしい年末年始になり、当初は色々と実感がなかったですが、今は徐々に現実帯びてきました。

今年は飛躍の年にしていくので、楽しみにしていてください。

皆さんも一緒に頑張って行きましょう。

どうぞ今年もよろしくお願いします。

 

大学不登校、奨学金停止、全部親にバレました。

こんばんは。みぃです。

今まで何度もブログやツイッターで言ってきたことですが、僕は大学に行っておらず、ほとんどの単位を落として奨学金を止められています。

そしてそのことを親に隠し、さも普通に大学に行って順調に卒業するんだろうと思わせてきました。

ですが昨日、全てバレました。

 学費の催促が親に届いた

きっかけは数日前、親に学費の催促状が届いた。

奨学金が止められているから、学費が払えないためほったらかして滞納していた。

それで「学費納めるか退学するかどっちなんですか」と言わんばかりの文面で親へ督促状が行ったのだ。

父親は特に問い詰めたりはしてこなくて、何か払わない理由があるのかと聞いてきたから「忘れてた」と返して、翌日に払いに行くことになった。

そして今日、一向に払いに行かない僕に父は

「今から一緒に払いに行こう」

と言った。

 「めんどくさいからいいわ」

とふざけた返事をし、そのまま自室に籠った。

 すると僕の部屋に入ってきて、何か払えない理由があるのか聞いてきた。

僕はそこからだんまりを決め込み、机の前に座ってスマホをいじり始めた。

父は床に座り込み、僕に耐久戦を申し込んできた。

スマホしてないでちゃんと答えろ」

と言ってきたからスマホを置き、顔を手で隠して目の前の壁と机の上を交互に見て黙りこくっていた。

そこでイエスかノーで答えられる質問をしてきた。

「学費を払えるだけの金は口座にあるのか」と。

しばらくの沈黙、そして覚悟を決め

「ないです。奨学金を止められたから」

と言った。

父は驚き、 奨学金停止通知、成績表を要求してきた。

少し抵抗したが無駄で、渋々渡した。

それらの書類を見ながら、質問と答えを繰り返した。

こうして、僕の隠してきたすべてが露わになった。

今まで隠してきた全てを理解したとき、父の思いがけない一言が聞こえた。

「気づけなくてすまん」

思わず耳を疑った。

一年半もの間、親を欺いてきた僕に対して怒りをぶつけるものだとばかり思っていたのに、まさか謝られるとは…。

身構えていたが拍子抜けしてしまった。

それと同時に罪悪感を抱き、良心の呵責に苛まれた。

 自分はどうしようもないほどクズで親不孝者だなと。

そして

「中退してましたとか、除籍されてたとかだったら手遅れだけど、まだ手の打ちどころがあるから、間に合ってよかった。」

と言い、さて、これからどうしたものかと、これからの心配して、打開策を模索し始めた。

 大学に行けなかった理由を伝えた

授業を受けられない理由を問われ、精神疾患(社会不安障害)が原因と説明した。

端的に言うと恥をかくのが嫌だと。

すると父は言った。

「俺だってそうだよ。人間だれしもがそういう感情を持ってる。だけどどうしたって生きていくうえで恥をかくことは避けられないんだよ。」

 今までの人生で何度もそうだったし、つい最近も会社で大失敗してしまったらしい。

裁判沙汰になって、上司に怒られ、出世の道は途絶えた。

同僚や部下からはいたたまれないと言わんばかりの視線を向けられている。

でも、家族を養うために、我慢して、精神をすり減らしながら必死で働いているのだ。

休日は母親の代わりにご飯を作ってくれる。

僕は自分のことばかり考えていて、周りが見えていなかったが、実はそういう犠牲のもとに生かされているのだと理解した。

そして能天気に生きてきた自分恥じた。

何なら恨みさえしていたことに後ろめたさを感じた。

 

一緒に母親にも言いに行こうと言われ、怒られるのが嫌で拒んだが、

「どのみち同じ空間に暮らしていてバレるんだし、確かに怒られはするかもしれないけど、ずっと隠しているよりも楽になれる。年末なんだしすっきりと新年を迎えようよ。」

と言われ、震えながらリビングへ向かった。

 ブチ切れられる覚悟で母親に白状したら

父が母に大事な話があると言い、3人向き合った。

父は母に

「あまり怒らないで冷静になって聞いてよ」

と前置きしてくれた。これがすごく大きかったように思う。

まず僕から、

精神疾患をこじらせてしまい、大学に行ってませんでした。そして奨学金を止められて学費を払えません。」と。

簡潔な物言いだったためか、あまり理解していない様子だった。

僕の潜在意識が、あえて早口で細かい説明を省くことで、母の理解に怒りの感情がすぐに追いつかないようにしていた。

とても小癪な手法を無意識下で行っていたのだろう。

そこで父が丁寧にかつスピーディーに説明してくれた。

母はまず驚き、その後精神疾患について聞いてきたり、今後の学費の心配をしていた。

ブチ切れられると思っていたけどそんなことはなく、またもや肩透かしを食らった。

僕は両親のことを全くわかっていなかったのかもしれない。

精神疾患について母は言った。

「何もしなくても飯が出てくるからそんなことが言ってられる。一人暮らししていて電気や水道が止まったりしたら、恥も外聞も捨てて必死に働くよ」

その通りだと思った。

父にも聞かれたが、隠し続けてどうするつもりだったのか聞かれ、

「もうどうなってもいいやって思ってた。未来の自分に任せる心持ちで過ごしていた。」

と答えた。

 一通り説明が終わったところで、贖罪意識に襲われ

「隠していてすいませんでした。」

と言わずにはいられなかった。

僕は両親に頭を下げた。

すると父は

「気づいてあげられなくてなくてすまなかった。これからは人生や進路で悩んでいること、隠さずに相談してくれ。」

と言った。母は

「卒業する気持ちはあるの?」

と意思の確認をしてきた。

僕は

 「卒業できるものならしたい、けれど半分は諦めの気持ちもある」

と素直な感情を吐露した。

将来のことなどを軽く話し、とりあえず残りの奨学金を親に渡すことになった。

一緒に銀行に引き出しに行き、その後、父と二人で飲みに行った。

 長い長い隠蔽生活が終わった

一年半も隠し続けてきたけれど、いつ怪物が襲ってくるかわからないような暗がりを恐れながらはい回る日々だった。

そんな苦役から今日、解放された。

でも、まだその実感はない。

余りに突然の出来事だったからか、理解はしても感覚が追い付いていない。

ふわふわとした心地だ。

さっきお酒を飲んだのもあるだろうけど、少し体温が高い。

何はともあれ、今年中に解決とはいかないまでも、とてつもなく重い十字架を下ろすことができたのは本当に良かった。

 正直、親との関係性が劇的に変わることはないだろう。

母親との間に気まずい空気感は漂い続ける。

ぎこちない会話を少々かわすだけの仲だ。

だけど、何かを隠し続けなければならないというミッションを抱えているのとそうでないのでは、ストレスのかかり方がまるで違う。

何かの拍子に隠している秘密がばれてしまわないか、いつ大学から連絡が来るか怯え、電話が鳴るたびに心臓が止まる毎日。

もうこんな日常を送らなくて済むと思うと感極まる。

無期懲役の拷問刑として牢獄暮らししていた僕は、ようやく出所して、長かった囚人生活にピリオドを打った。

娑婆の新鮮な空気を肺に目いっぱい取り込んで、空に浮かび上がる。

僕はまだ舞える。

暗い気持ちを引きずったままではなく、新たな気持ちで進んでいける。

人生取り戻す。ここから。

近況報告 除籍処分まで三ヶ月を切る

こんにちは。みぃです。

前回の記事を書いてからもう一か月半近く経ってしまいました。

その間何をしていたのか、これからどうするのかなどをまとめておこうと思います。

 大学入学から引きこもりの現在までの経緯

知らない人もいるかもしれないため、一度これまでの状況を整理。

一浪して大学に入学するも、周りの目が異常に気になり授業に出れなかった。

親にそんなこと言えるはずもなく、大学に行くものの授業には出ず、図書館で暇を潰していた。

そして年度末、講義を聴くだけの授業は出れていたため、その分の2単位取得。残りの41単位落単。

春休み中に奨学金停止の通知が来た。

二年の前期は止められる前の奨学金が何とか残っていたため、学費を払うことができた。

オンライン授業ということもあり、顔出しの授業は切ってしまったが、16単位取ることができた。(25単位落単)

夏休みが明けて後期、奨学金停止が響き学費が払えず、また前期に全授業を入れたため後期は授業が入っておらず、何もすることがないという現状に至る。

今はオンライン授業を受けているふりをして部屋に籠っている。もう完全にニートだろこれ…。

こんな感じで一年半大学生のふりをしてきた。

改めてみるとほんとに終焉(おわ)ってんな~(他人事)。

親は上記のことは全く知らず、これまでも普通に大学に通ってフル単していると思っているし、現在もオンライン授業に励んでいると思っている。

普通は実家に成績表が送られてきてバレると思うけれど、僕は実家暮らしで、毎日のようにポストを監視してきて、送られてきたらすぐに回収してきた。(奨学金停止通知も)

だから奇跡的に親にバレていない。

食事の時に大学のことを聞かれても適当にはぐらかしてきた。

しかし、もうそろそろバレるときがやってくるのだ。

後期の学費を払っていないため、その催促の電話が行くはずだ。

親は払ってると思っているため、そんな連絡が行けば驚くだろう。

そしてそのことを僕に問い詰める際に、今まで隠してきたことがバレるのは明らかだ。

いつ電話がかかってくるのか怯えながら、今日も自室に引きこもってオンライン授業を受けたふりしている。

 自分なりにもがいていた

前回の記事で11月中に親に連絡が行くと書いたが、大学のホームページを見たら学費納入期限が11月末までとなっていたため、一か月先延ばしとなった。

じゃあそれまでの一か月間(11月~12月前半)は何をしていたのかというと、近場で一人で遊んでいた。

茶店(スタバ、ドトールサンマルク)に行ったり、タピオカ飲んでみたり(今更)、映画を見に行ったり(鬼滅二回見た)、カラオケに行ったり、横浜観光したりした。

現実逃避だと思われるかもしれないが、今まで塞ぎ込んで外の世界に出ることがなかった僕がこうして積極的に動いていったのは成長だと思う。

今まではスタバを筆頭に喫茶店なんて怖くて行けなかったし、一生行くことはないだろうと思っていたけど、一歩踏み出して行けるようになった。

みんなにとっては当たり前でも、僕にとってはとてつもなく大きい壁を、一個一個を着々と超えてきた。

次はいよいよ労働の壁だ。

正直に言うと、この期間にも二回ほどバイト面接をバックレてしまった。

そしてそのあとに希死念慮に襲われていた。

でも、自分なりに頑張ったし成長してきたつもりだから、次の壁も乗り越えられると思うんだ。

いや、乗り越えてみせるよ。必ず。

みんなに比べればずいぶんと狭い歩幅だけれど、一歩ずつ歩んでいく。

 除籍になる可能性

大学から親に電話が行くまでは自分からは言わないつもりだ。

学費納入期限を三ヶ月過ぎたら除籍になるらしいが、さすがにそれまでには連絡が来るだろう。さすがに…ね。

万が一来なかったら除籍になってしまうわけで、自分から言った方がいいのはわかってる。

でもそれは無理なんだ。

一年半やってきたことを、生半可な覚悟で変えることなんて。

僕のこの苦しみは一朝一夕で解決するようなもんじゃない。

受け身な姿勢かもしれないけれど、それに関してはもう神様のご機嫌次第。

架空の何か大きい存在に運命丸ごと投げている。

でも何とかなる気がしてるの。

だって貧乏くじを引かされ続けてきた人生なんだもん。

たまには良いことがあっても不思議じゃない。

もうそうやって都合よく捉えるほかない。

崖っぷちからどうなるのか、なんか楽しみでもある。

 

これからどうなるか未知数ですが、こんな出来損ないの僕の歩みを、どうか見守っていてください。

親に怒られるのが嫌で自殺してあの世に逃げようとした

自殺宣言をした

一昨日、こんなツイートをしてしまった。

 

 なんで自殺するなんて言い出したのか。

それは一年半隠してきたことが親にバレる日がやってきたからだ。

僕は大学不登校奨学金を止められている。

しかし親にはそのことを言っておらず、今も自室に籠ってオンライン授業を受けたふり

している。

実際は一日中布団に寝転がって天井を見ているのだが。

いつかはばれてしまうが、一日でもそれを先延ばししようと色々模索してきた。

ポストに大学からの手紙が入ってないか確認し、家に電話がかかってくるたびに大学からなんじゃないかと震え上がっている毎日だった。

怒られたくないから、その一心で日々心を消耗させていた。

話を戻すと、僕の目論見では、後期は授業料が払えないため休学して、その期間にバイトしてお金を貯める。

そして来年の前期からちゃんと授業に出るつもりだった。

しかし休学願を取り寄せたら説明書きに、休学願を大学に提出したら親に確認の連絡が行くと書いてあった。

その瞬間、砂の城よりも脆い僕の計画は見事に砕け散った。

じゃあ出さなければいいと思うかもしれないが、その場合も学費納入の催促が親に来る。

完全に八方塞がりなのだ。

いよいよ長かった隠蔽生活が終わりを迎え、親に隠してきたことすべてが明らかになる。

最短で一週間以内にリビングに呼び出されて、激しい怒りをぶつけられるだろう。

間違いなくこの家は修羅場になる。

果たして僕はそれに耐えられるだろうか。

強い希死念慮に襲われるのは必至だ。

それを想像した僕は、あっさり死を意識した。

まるで体に備わっている反射反応のように、極めて自然にその考えが目の前に浮かび上がった。

最善の選択肢はこれだと言わんばかりにそれが合理的に感じた。

親からの怒りと失望によって死に追い込まれるくらいならば、その前に消えてしまおうと。

逃げ癖をこじらせた人間の末路だ。

そして僕はあんなツイートをした。

 ツイキャスで死なないでと言われた

そのあとにツイキャスをしたのだが、多くの方に励ましや思いとどまるようコメントを頂いた。

善意でアドバイスしてくれたのに、不貞腐れた態度で返してしまったことに今は申し訳なさを感じている。

意外にも僕に影響を与えたのは、島で自給自足の生活を提案されたことだった。

以前から何度も一人暮らしして親から離れたいと思っていた。

そうすればバレても直接怒られることはない。

だがそのためにはお金がいる。

そこでアルバイトをしようと思ったが、知らない人と話すのが怖くて面接をぶっちしてしまった。

 ここ二ヶ月で二回やった。

会場の前までは行くのに、聳え立つビルが仁王立ちして僕を睨みつけるもんだから、思わず体が硬直して立ち尽くしてしまう。

そして入らなければならないという理性よりも恐怖心が勝って、華麗なUターンをキメた。

こんなんだから、親から距離をとるという選択肢も選べず、親と向き合うか死に逃げるかの二つしかないと思っていた。

だが、逃げる先は一人暮らしでも死でもなくて、路上でもいいのだ。

僕はなぜか長期的に継続できることを無意識に求めていたが、一時的にでも親の雷から逃れられるだけで十分なのではないか。

さすがに知らない島には行けないが、貯金を使ってネットカフェに避難してもいいし、路上でホームレス生活をするのもいい。

金が尽きたらその時は潔く餓死すればいい。

わざわざ早まって自分から死を選ばなくても、遅かれ早かれ死ぬのだからそれまであがいてみようかな。

死んだら無になる、けれど失敗したら今以上につらい人生を歩むことになる。

そんな究極のリスクを抱えながら飛び降り自殺を決行するよりも、救いを待ちながら緩やかに死んでいく方が合理的だ。

 これからどうするか

胸の内をひとしきり語ったら、不思議と思い詰めていた心が軽くなった。

死に急ぐよりも、もっと良い選択肢があるんじゃないか、そう思った。

“鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥”

秀吉を見習って、良くなるまで待ってみよう。

もちろん行動して現状を変えるのが最善策だとは思うけれど、思い詰めて死に急ぐよりはましだ。

今はただじっと待っていよう。

我慢の時だ。

解決するまで、時の流れに身を任せてみる。

奨学金を止められ、毎日授業を受けたふりしている

今週から後期の授業が始まった。

ツイッター上は、対面授業が始まった大学もあるみたいで阿鼻叫喚の様相を呈しているが、そんな中僕は一人蚊帳の外で佇んでいた。

僕は今年の3月に奨学金が止められているため、後期分の学費が払えず休学することになる。

去年一年間、対人恐怖からほとんど大学に行けず、奨学金を止められてしまった。

 

mukiryoku7.hatenablog.com

 

親にはこのことを伝えていないため、後期も当然のようにオンライン授業があると思っている。

これから半年ほど、僕は自室で授業を受けているふりをしなければない。

 親にバレなかった理由

去年一年間は大学に行ってはいたものの、人の視線が怖くて授業に出ることができず、ずっと図書館で時間を潰していた。

その結果、取得単位は一年間で2。GPAは0.05だった。

41単位落としているわけだから、当然のように奨学金は止められた。

学期末に送られる成績通知書と、奨学金停止の通知書は親の手に渡る前に回収した。

書類が来る日を調べておいて、何度もポストに頻繁に確認しに行き、何とか事なきを得た。

その日の前後数日は生きた心地がしなかった。

一度予想もしていなかった日に奨学金停止の通知書が来たことがあって、たまたまポストを確認して気づいたが、あの時はさすがに度肝を抜かれた。

これらの必死の隠ぺい工作によって親はこの事実を知らない。

親にバレて怒られることが怖いから逃げ続けてきた。

ほんとは一年の前期末でばれてしまった方がよかったのかもしれない。

そうすれば一年半も隠し続けて苦しい思いをしなかっただろう。

なまじ隠ぺいに成功してしまったが故に、事態が深刻化してしまったように思う。 

 家族との関係

弟とは一対一になったらほとんど喋らない。

話したら絶対大学の話になって、ぼろが出てしまい隠しきれないから。

昔はよくケンカしたし会話もしていたように思う。

親とは大学の話以外の世間話などで沈黙を避け食事をやり過ごす。

僕が大学を楽しめていことを察し、あまり大学の話題は出さないように配慮してくれているからだ。

しかし、ほんとはそんな生易しいもんじゃなく、一年間親を欺き大学に行ったふりをしていたのだ。

学費120万円をドブに捨てた。

そんなこと口が裂けても言えるわけがない。

今までは家族との会話の際、社会不安障害の症状の赤面症や表情の引きつりのことが頭を支配していた。

しかし、今はそんな余裕はなく、大学不登校がばれないかどうかだけで手一杯だ。

最近、父親が大学のことを聞いてきたり、就活について話してくるようになった。

今まではそういう話題になったら少し不機嫌な態度をとってやり過ごしてきたが、先日は露骨に嫌がってしまって微妙な雰囲気になった。

そろそろバレる日も近いのかもしれない。

親と食事したり話しているとき、ふと思う。

今まで隠していたことがばれたら、こんな風に喋ることはなくなるだろうと。

前は関係がピリピリしていたが、今は何とか普通に接することができている。

しかし、その分全容が明らかになった時のダメージは計り知れないだろう。

とめどない恐怖感が僕の頭をかすめ、会話しているときも一歩引いた気持ちになる。

 怒られることが異常に怖い

怒られるのが怖いから目の前の問題から逃げ続けてきた。

子供みたいだね。 

去年の11月頃、言うことを聞かない僕にいら立つ母親の態度のせいで、希死念慮を抱いていた。

僕が折れて下から接したから機嫌が直り、今は普通に会話するにまで至ったが、いまだにそのことに関して恨みを抱えたままだ。

またそんな経験はしたくないから、秘密を打ち明けるなんて選択肢は僕にはない。

そもそも僕が大学に行かなくて奨学金が止められようが、怒られる筋合いはない。

奨学金は機関保障のため、親に請求は行かない。

親が僕を信用していなかったことが功を奏したわけだ。

親に何一つ損はなく、怒られる筋合いはないのだ。

怒られることが極度に怖いが、直接怒られなければ大丈夫だと思う。

電話越しならば、精神的ダメージは少なくて済む。

しかし、対面だとストレートに怒りが飛んできてしまう。

事実を知った後、電話をかけるまでに夫婦間で話し合ってからワンクッションおくから少し怒りが収まる。

しかし、同居してるとその暇もなく呼び出されるから、同じ修羅場でも段違いの苦痛を伴う。

だからこそ、早く一人暮らしして親と距離を置きたい。

zoomでのカウンセリングや授業も、家に親がいて聞かれてしまうから満足にできない。

あいつらが、特に母親が僕の足かせになっている。

この重荷を下ろしたい。

嘘をつき、隠すことに疲れた。

死んで楽になりたい。

早く救われたい。 

もうそろそろ限界だ。

 早く楽になりたい

いつ大学から家に連絡が来るか、そんな不安に苛まれる。

電話が鳴るたび、こめかみに銃口を充てられたように緊張感が走る毎日。

頻繁に心臓を掴まれ、息が止まる。

もしかしたら、今日大学から電話が来て、これまで隠してきたことが一瞬で親にバレるかもしれない。

そうなれば、また去年のように親からの憎悪や八つ当たりによる罵声の応酬で、希死念慮と闘いながら悶々とした毎日を送ることになる。

コロナのおかげもあって、せっかく鬱状態を脱却してポジティブな心持になったというのに、もうあんな苦しい思いをしたくない。

薄暗い独房で刑の執行をただひたすらに怯えて待つ毎日。

無慈悲にも終焉へのカウントダウンは始まっている。

常に秘密を隠し続け、罪悪感と恐怖感で息苦しい日々。

いつ救いがもたらされるんだろう。

表面的な平穏のすぐそばで、どす黒い現実という闇が僕を覗き込んでいる。

だが僕は、自ら打ち明けて謝罪する勇気もなく、その闇に飲まれるのをでじっと部屋の隅に縮こまって待つだけなのだ。

変わりたいと何回も願った。

だけどその度途方もなく険しい壁が立ちはだかって行く手を遮るもんだから、もうあきらめた。

神様の気まぐれで今は生かされているけれど、いつ気が変わって奈落の底に突き落とされるか分かったもんじゃない。

 今後の展望

後期の半年間で学費の足りない分をバイトして貯めて、来年から復学してフル単を目指す。

今期の単位数から見て、来年度奨学金が復活する見込みはないため、一年後の後期の学費は教育ローンか消費者金融で借りるしかない。

うまくいけば一留、現実的な見方では二留するだろう。

もしかしたら親から秘密を隠し続けることに耐えかねて、あの世へ飛び立つかもしれない。

これからの僕の人生がどうなるかは神のみぞ知る。

三度目のメンクリ。精神科医に呆れられた。

パン工場をすぐにやめたと伝えた 

先日、三回目の精神科に行った。

医師からは通う頻度を決められてはいなかったが、処方された二週間分の薬が切れる頃に行こうと思っていた。

しかし飲むのを忘れることが多々あり、意図していなかったが結果的に月に一回のペースで通院している。

  

 前回の診察から何か変化はあったのか聞かれ、工場バイトを始めてみたがすぐにやめたと伝えた。

さすがに初日の昼休みに脱走したなんて口が裂けても言えないから、あくまでその日の終わりまできちんと働いた体で話した。

 

mukiryoku7.hatenablog.com

 

早々に辞めた理由を問われ、同世代の人が全くおらず、中年女性のコミュニティーに対する接し方がわからないため、世間話などができなそうで気まずいと答えた。

すると

「同世代の人たちとならうまくやれるんですか?」

と聞かれ

「その方がまだましですかね」

と答えたら

「ではなぜ大学の人たちとは喋れないんですか?」

と返された。

僕はその問いかけに思わず「ん~」と唸り、口をつぐんでしまった。

対人恐怖をあたかも特定の年齢層にだけ現れてしまうと思い込み、現実を直視せず自己防衛していることに気づいた。

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「この調子だと来年、大学の授業の参加する際は投薬が必要になりそうですね。本当は副作用が強いから若者に対しては使いたくないんですけど、このままいくとやむをえませんね。」

と言われてしまった。

僕の成長に期待していたものの、予想以上に進歩がないから呆れてしまったようだ。

先生はただ話を聞くだけだから、とにかく僕が自力で行動して克服するしかない。

とりあえずまた新しくバイトを始めようということで落ち着いた。

 

その後は前回と同様、カウンセリングを勧められた。

  • 精神科などの通常のカウンセリングだと一万円ほどかかるが、大学のカウンセリングは無料で利用できる。
  • 大学を卒業すると無料でカウンセリングしてくれるところはないから、今のうちに行っておく。
  • カウンセリングのほかに、横浜の大きなメンクリだと認知行動療法をやっているから、それもやった方がいい。 

 

前の記事で耳が遠くなったように感じたことを書いたら、精神的が要因かもしれないと助言を頂いたため、そのことを帰り際に話してみた。

そしたら

  • 若い人で精神的な理由で聴力が低下する例は少ない。
  • 単純に聴力が落ちただけかもしれない。
  • 気になるなら耳鼻科で聴力検査し、そこで異常がなかったら相談してほしい。

とのことだ。

 バイトを始めてみて、どうしても気になったら耳鼻科に行くことにした。

余談

ちょうど今日、バックレた山崎製パンから給料の振り込みがありました。

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3時間分の給料と交通費です。

休憩時間の一時間分も働いたことにして書いたはずなのですが、さすがにそれは反映されていませんでしたね。

以前やった郵便局の短期バイトはこまめに休憩があり、そこでもしっかりと時給が発生していたのであそこはほんとにホワイトなんだなぁと思いました。

おおよそ申告通りの額だったので満足でありますっ!

  

皆さんもどんどんバックレして会社に迷惑をかけ、その上給料を要求し、大いにストレス発散していきましょう!

人に道を聞けなくて、大学入試に間に合わなかった話。

 

下調べしなかったことが命取りに

滑り止めや、志望校の他の学部の試験を受け終え、いよいよ入試最後日が来た。

入試会場は、これまでは家から近く容易に行けるところだったが、最終日は東京の真ん中の方にあって家から結構離れていた。

しかし、去年も同じところで試験を受けたため、油断して会場の下調べを一切行わなかった。

この判断が命取りとなり、僕を絶望の淵に追いやることになる…。

 迷子になって泣いた、19の冬

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入試当日の朝、最寄り駅には予定より少し遅れての到着で少しの焦りはあったものの、それまでの試験で手ごたえがあったことと、最後の入試ということもあって焦燥感よりむしろ高揚感が勝っていた。

階段が複数あり、どこから出ればいいのかわからなかったが、特に気にも留めず適当な階段を上った。

時間ギリギリのためか、受験生らしき人影が全く見当たらず、いぶかしく思った。

去年の記憶を頼りに道を進んでみたが、会場らしき建物は一向に視界に入らない。

「これはまずいことになったぞ」という本能レベルでの感覚が、僕を次第に焦らせた。

ここらで一度、道を尋ねたほうがいいかもしれないと思ったが、すぐ近くにあったら恥ずかしいという羞恥心が頭を占拠し、自力で見つけることに決めた。

たどり着きたい一心で辺りを歩き回った。

行き詰まったら駅に戻り、違う方向に行くということを繰り返していくうちに、全く同じ道を何度も通っていることが分かった。

だが、今自分が置かれている状況を受け入れたくなくて、ひたすらにわけもわからず歩いた。

何度も繰り返し通った道に出るたび、悪い魔法にかけられてしまったのかとオカルトじみた突飛な妄想が、僕の空っぽの脳みそを支配した。

それはまるで繰り返される悪夢そのもので、逃げても逃げてもその先にはまた同じ光景が広がっていた。

試験開始時間を過ぎても、「まだ間に合う」と自分に言い聞かせ、妙な寒気を感じながら冷や汗をたらし、足を動かした。

その姿はさながらエベレストで生死の境をさまよう登山家だった。

止まったら即死の雪山での登山。

立ち止まったら最後、地獄の谷へと真っ逆さまに落ちていく。

あの時確かに、深淵が僕を覗きこんでいたのだ。

イムリミットが迫る。

一刻も早く目的地に到着せねば。

足の動きを止めてしまったら、抑えていた感情がとめどなく溢れ出してしまう。

旧日本軍の兵士よろしく前進あるのみだった。

祖国を、愛する人を守るため。

僕の光輝く希望に満ち溢れた未来をつかみ取るため。

たとえその先に待つものが死だったとしても。

何度も何度も人に聞いた方がいいんじゃないかと、もう一人の僕が問いかけてきたが、その都度言い訳を振りかざし邪念扱いしてそれを追い払った。

そしてついにやってきた。

一科目目終了の時間。

目の前が真っ暗になった。

僕はすべてを悟り、自分の愚かさを呪い、絶望した。

最後の最後でこれかと。

神様はなんて非道な仕打ちをされるのだと。

目から絶え間なく悲しみの雨粒を零しながら、ただその場で呆然とするほかなかった。

 用もなく予備校に行って時間を潰した

予想だにしない最悪な入試の終え方をした僕は、残り二科目分の時間をつぶすため、塾に行って入試は終わったのにも関わらず勉強をした。

もちろん身が入るわけもなく、生きた心地がしなかったからボーっとして、飽きたら塾周辺をうろうろ散歩して過ごした。

長い浪人生活を終え、達成感と解放感がもたらされるはずだったのに、絶望的な気持ちを抱くこととなった。

決して褒められるような浪人生活は送らなかったものの、現役の時よりはましな学力になったし、笑って終われると思ったのに。

通りゆく人々に声をかけるだけで、こんな事態になることは防げた。

自分の不甲斐なさを呪うことしかできなかった。

 なぜこんなことに?

僕は浪人生にもかかわらず、家でスマホばかりいじっていた。

それに腹を煮えたぎらせた親は、あろうことか僕からスマホを取り上げた。

もし入試当日スマホを持っていたら、グーグルマップを片手に楽々会場にたどり着き、つつがなく試験を受けることができたはずだ。

もちろん人に道を尋ねるという19歳ならできて当然のことをしなかった僕に責任はある。

だが、あの時スマホがあれば、無事にたどり着き、こんな惨めな思いをしなくて済んだんじゃないか。

ふと、そんな考えが頭をよぎる。

もし親からスマホを取り上げられなければ、あるいは事前にルートを確認していれば、今頃僕は、志望校で華のキャンパスライフを送れていたのかもしれない。

満開の桜並木の中、胸を張って歩き、自分の人生が開けてゆく確かな感覚に酔いしれていただろう。

サークルの新歓で、だいぶ遅れた青春を取り戻せたかもしれない。

ところがどっこい、入学式に出席せず、授業に行けなくて、一年間大学に行ったふりをすることになるなんて…。

ああ、神様はいつも僕に無慈悲な現実を突きつける。

マクドナルドの面接に遅刻して逆ギレ発狂した話

こんばんは、みぃです。

以前、バイトの面接で一悶着あったので、その時のことをお話しします。

 

一日中死にたいと思っていた時期

これは去年の11月末ごろの話。

大学に入ってからというもの、母親にアルバイトをやれと何度も言われ、そのたびに「もうすぐやるよ…。」と言いお茶を濁してきた。

夏休みに入ってからはますますその頻度が上がり、11月ごろになるといつまで経ってもバイトを始めない僕に苛立ちを見せてきた。

毎日のように僕への当てつけにムスッとして、わざわざ僕に聞こえるように不満を父親に大声で話した。

それによって僕の心はマイナスの感情に蝕まれ、希死念慮と自分以外のこの世に生きる人々への憎悪を抱きながら部屋に引き籠っていた。

そんな中、僕のもとに一通のはがきがやってきた。

年末年始の年賀状仕分けバイトの募集を知らせるものだった。

高校生の時に一度やったことがあったし、あまり人と関わらない仕事だからやってみようと思い申し込んだ。

夕飯時、いつものようにバイトの話になり、そのことを親に話すと、長期のバイトもやれと言われてしまった。

短期とはいえ応募したことにより勢いがつき、ネットで目に付いた近所のマクドナルドが募集していたから応募した。

 しつこい店長に怒鳴った

面接当日、髭を剃ったり、慣れないワックスを髪につけたりしていたら、遅刻することが避けられない時間になっていた。

家を出たものの、遅刻するくらいならバックレようかなと思い、来た道を引き返し始めた。

しかし、親に面接に行ってくると告げていたため、言い訳するのがとても億劫に感じた。

しょうがないから落ちる覚悟で行くことにした。

面接目的地の前を二往復くらいして様子を確認。

結果、20分以上遅れて到着した。

あまりの行きたくなさにふてぶてしく、あからさまにだるそうな態度で店内に入り、面接に来た旨を伝えた。

店員が店長を呼んで待っている間

「めんどくせ~」

と大勢に聞こえるように言ってしまった。

僕のあまりに舐めた態度に、多くの店員たちが奇妙な生き物を眺めるように僕の方を見ていた。

少しして、30代後半くらいの不愛想な女店長が登場した。

ただでさえ不細工なのに、愛想もないなんて女として詰んでいるなと思った。

カウンター越しにキレ気味でなぜ遅れたのか聞いてきた。

「ちょっと準備が遅れて」

と答えると

「それはどういうこと?」

とねちっこく何回も問い詰めてきた。

「なぜ連絡しなかった?」

と聞かれ

「そんな暇なかったですね」

と言った。

それからも同じようなことを何回も聞いてきやがったから、ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。

「いちいちうっせえな!」

そう吐き捨てて店を出た。

自暴自棄になって通行人に八つ当たりした

思いの丈を叫び終えて店を出ていく途中、店内は沈黙に包まれ、周囲のあらゆる視線が僕という一点に集中した。

涙目になりながら帰路のついた僕は、ババアの態度もそうだが、何をやってもうまくいかない自分に苛ついた。

すれ違う人たちが僕をあざ笑っているように見えた。

そして通り過ぎる人々にわざとぶつかって八つ当たりをした。

完全に自暴自棄になっていた。

人生に絶望して、コンビニで物を盗んでわざと捕まろうかと考えた。

将来警備員をやることが選択肢にあり、前科があるとできなくなるため、やるかやらぬかの葛藤があった。

帰り道を歩いていたら興奮が少し収まったため、それ以上あれこれ考えるのをやめた。

面接が終わるであろう時間になるまで散歩して時間を潰し、家では面接を受け終えた体で話した。

後日、親に面接結果を聞かれたが、答えを濁して落ちたように思わせた。

 お説教おばさんの醜さ

遅刻した挙句、連絡一つよこさず、のうのうと現れたと思ったら不機嫌な態度をとられたらイラつくのも無理ないだろう。

しかし、相手はまだ20歳のひよっこ

社会常識に疎いことを念頭に置くべきで、むしろそんなことも想定できないのは危機管理能力が欠如していると言わざるを得ない。

立場の弱い子供相手に、自分の立場を利用して上から目線で物を語るなど言語道断。

年下といえど同じ人間。

相手への配慮を忘れずに優しく伝えることこそ、大人の本来あるべき姿だろう。

僕に高圧的な態度をとったあのババアは、店長である自分に酔っていたのではないだろうか。

たかがハンバーガーチェーン店の店長風情が偉そうに説教垂れるなんて嘲笑の的だ。

まだ20歳の子供にアラフォーのおばさんがむきになる姿は何とも滑稽であった。

いい大人が情けない。

大体あそこで見世物のように問い詰めなくても、普通に面接をして落とせばよかっただけの話だ。

にもかかわらずあんな卑劣な手段で僕を貶めた。

あのような不誠実な行いは許されることではないだろう。

 マクドナルドは有害な存在

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家庭環境の劣悪さと、店員からの理不尽な攻撃によって引き起こされた事件。

夏休みごろからマクドナルドにハマり、それからよく食べていたが、この一件以降全く行かなくなった。

ただ、行かなくなったのはそれだけが理由ではない。

頻繁にマクドナルドの物を食べていたことが原因で便秘に悩まされたり、憂鬱になる時間が増えたりと、体に不調が起きていた。

そのこともあって自然と足が遠のいた。

皆さんも健康のため、そしてこんな悪徳店員が働いているマクドナルドなんかには行かないことをお勧めする。

【道路交通法違反】二度も車両に煽られて喧嘩しかけた話

皆さんこんばんは。みぃです。

昨日と今日、二日連続でトラブルに巻き込まれたので、皆さんに報告させていただきます。

 

 

ここ三日間、外に出るのが億劫になり引き籠っていたのだが、さすがにこのままだとダメになりそうな気がしたため散歩することにした。

日差しが照り、眩しさと蒸し暑さで自分が調理されている気分になった。

こんな状態でも世の人々は通常運転で活動している。

サラリーマンは満員電車にすし詰めで運ばれ、主婦たちはパンパンに膨らんだエコバッグを持って家とスーパーを往復する。

一体何のトレーニングをしているんだという感じだが、これが“普通”なのだろう。

人並みになりたくてもがいてきたけれど、こんな光景を目にすると、それはどこまでも遠く感じてしまう。

 後ろからクラクションを鳴らされた

散歩ルートは決まっており、何も考えず音楽を聴きながら狭い道路を歩いていた。

住宅街の狭い道路を歩いていた時だ。

突然後ろから大きな高音の機械音が聞こえ、心臓が飛び出そうになった。

僕が心臓病を患っていたらどう責任取るんだよ。

後ろを振り返ると、安っぽい車がそこをどけよと言わんばかりの様相で僕を睨みつけていた。

心を落ち着けながら日課に勤しんでいたら、急に赤の他人がずかずかと僕の精神世界を土足で踏み荒らしに来やがった。

そんな無礼極まりない行為に僕は立ち上がった。

車が僕を通り過ぎようとした瞬間、運転手の30後半くらいのおっさんが見えたから

「うるせえよ!」

と一喝入れてやった。

すると少しスピードを緩め

「なんだよオイ!」

と怒鳴ってきたため

「はぁ?警察に通報するからな」

と言い、携帯を取り出すそぶりを見せると、そのまま走り去っていった。

残された僕は、嵐が過ぎた後の静けさの中で立ち尽くしていた。

久々の外界との関わりがこんな形でやってくるとは思っておらず、僕の心臓は一生分の心拍数を使い果たしてしまうんじゃないかという勢いで鳴り響いていた。

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 老害にベルを鳴らされた

翌日、再び散歩に繰り出した。

たまにはおかしな人と出会うこともあるよなと感情を整理し、気持ちを切り替え、いつも通りの道を歩いた。

散歩ルート後半に差し掛かり、狭い歩道を歩いていたら、向かい側から老人が乗った自転車がベルを鳴らしてきた。

歩道を自転車で走ること自体グレーゾーンなわけだが、本来走るべき方向を逆走していた。

そのうえベルを鳴らして歩行者をどかすというとんでもない違法行為をしてきた。

普通ならここで即警察に通報してもおかしくはないが、僕はできるだけ揉め事を起こしたくないし、自分が我慢すれば済むのだと考える。

さっと端に体を寄せ、英国紳士のような振る舞いで全世界の女性を虜にしてしまった。

自転車が通り過ぎるとき、老人がすれ違いざまに睨みつけて何かを言ってきた。

明らかに相手に非があり、こっちはそれを寛大な心持ちで許してあげたのに、なんて傲慢で醜いのだろう。

これが俗にいう、老害ってやつか。

こんな人間がこの世界にいることが信じられず、後ろを振り向き、思わず

「はぁ?」

と素直な感情が口をついた。

大きな声が出たため、よほど耳が遠くなければ聞こえていただろうがそのまま行ってしまった。

 法律違反を許すな

この二つの事件に共通するのは、相手が道路交通法に違反しており、悪びれることもなく当たり前のように行っていることだ。

罪の意識がないということは、日常的に犯罪を行っているということ。

これまでも、そして明日からも、彼らによる理不尽な犯罪の被害に遭う人がいるのは間違いない。

僕一人の犠牲で済むのなら構わないが、抵抗できない女性や子供たちにまでその手が及ぶのは到底許されない。

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今回は僕が素直に避けてあげたからいいものの、もし敵意をむき出しにして頑なに避けなかったら轢かれていた可能性もある。

これ以上善良な歩行者が犠牲にならないように、警察に方々には取り締まり強化を要請したい。

 なぜ僕が反撃できたのか

内気な僕がなぜ勇猛果敢に犯罪者に抗議の声をあげられたのか。

それには二つ理由がある。

一つ目は、相手が法律違反をしているため、口喧嘩になろうが警察沙汰になろうが勝てるとわかっていたからだ。

歩行者に対してクラクションやベルを鳴らす行為は、道路交通法第54条第2項の規定に違反している。

第1項では危険防止のために例外的に許可されるが、今回はそれに当てはまらない。

こんなこと免許取得の際に学ぶ基本事項のはずだが、なぜ知らないのだろうか。

免許を取得していない僕の方が詳しいって恥ずかしくないの?

 

二つ目は、相手が自分より弱そうだったからだ。

すごくかっこ悪い理由だと自分でも思うが、無謀な挑戦は決してしない。

30後半のヒョロガリのおっさんと、今にでも朽ち果てそうなイキり老人。

今考えれば、見た目ではわからなくても実は格闘技をやっていたなんて可能性もあったが、その時は瞬時に動物の本能で「これはイケるな」と察した。

相手がガタイが良く、いかつい人だったら正直全く抵抗しなかっただろう。

というか怖さで反応できず、屈服していたのは明白だ。

法治国家といえども、最終的には暴力が問題を解決することは多い。

警察が来る前に暴行を受け、証拠不十分で泣き寝入りするなんてこと、至る所で腐るほど起きている。

自己防衛という観点から見て、多少不格好かもしれないが、声を上げる場面かどうか選別することは大事なのだと言い訳させていただきたい。

 煽られても煽り返さない、それが大人の対応

このような出来事は今後何度も起こり続けると思うが、そのたびに揉め事になってしまってはきりがない。

どうしても衝突が避けられない状況になってしまったら、一歩も引かない姿勢は大事になってくるが、些細なことで一々突っかかってもしょうがない。

例え100%相手が悪いとしても、こっちが大人しく従っていれば何事もなく済んだはずだ。

僕自身ほんとは、つまらないプライドや見栄が傷つけられたと思い、感情的になってしまったのかもしれない。

それを正当化するために善悪の二項対立でとらえ、自分の醜く臭いものに蓋をした。

ブログやツイキャスのネタになるからという思惑も頭のどこかであったと思うが、すぐに感情をあらわにしてしまうのは抑えていかなけらばならない。

バイトをするにあたり、我慢する場面はたくさんあるだろうし、もしできなければクビになると思う。

大人の対応ができるように、感情のコントロールをしっかりと身につけていきたい。

 あとがき

二日続けて気が狂った人間に出くわすとは…。

二度あることは三度あると言いますし、また明日も同じような目に遭ったりして(笑)

見た目的に舐められやすいんですかね。

相手もまさか言い返してくるなんて思わなかったと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

デブ女に怒鳴られブラックバイトを半日でバックレた話【山○製パン】

皆さんこんばんは。みぃです。

先日、ようやく重い腰を上げてアルバイトを始めたのですが、半日で脱走してしまいました。

このように至った経緯を、面接の段階から順を追ってまとめたいと思います。

 

 簡単なアルバイトで肩慣らし

前回の記事でも書いたが、精神科で先生と話し合い、来年の授業に備えて今から少しずつ社会と関わっていくことになった。

 

mukiryoku7.hatenablog.com

 

いくつかのアルバイトを経て最低限の対人スキルを身につけていき、大学の講義に出られるようにする。

そこで早速バイトを始めようということになり、手始めに単純作業系のものを探していたら、家から割と近いところに大手パンメーカーの工場バイトが募集されていた。

時給がそこそこで家からも近く、自分が一番向いていると思っていた単純作業が業務内容だったので、「ここしかない!」と思いすぐに電話した。

家の中では親に会話が丸聞こえのため外で電話した。

そのため手元にメモするものがなく、繰り返し用意するものを聞くというアクシデントがあったものの、それを除けば順調に事を終えた。

 面接が最大の難所

それから一週間後、いよいよ面接の時がやってきた。

ここが最大の難所だ。

今まで何度面接をバックレて自己嫌悪に陥ったことか。

電車で最寄り駅に着いたのに席から立ち上がることができなかったり、建物の前まで行って中に入らずUターンして帰宅したり、時間が過ぎるまで布団から出られなくてうずくまっていたりしてきた。

何回応募しても足を運ぶことができなくて、自分の愚かさに失望して、その繰り返し。

時間は着実に進んでいるのに、何一つ成長しない泥沼劇を幾度となく演じていた。

でも今の僕はその時の僕とは違う。

ずっと行けなかった精神科に行けたし、応援してくださる方々もいるし、確実に変わってきた。

今度だってきっと行けるさ。

自分が積み重ねてきた行動に裏付けされた確固たる自信を持ち、家を出た。

 無事パン工場のアルバイトに採用された

工場にバスで向かう途中酔ってしまい、あまりの気持ち悪さに帰りたくなったが何とかこらえ、面接会場に到着した。

門に人が集まっていたため、自分以外にもいるのだと知って勇気が湧いた。

名前を書き温度検査、消毒を済ませ待合室に入った。

そこには10人ほど待機しており、僕が座った後に来た人を含め計20人ほど集まった。

老若男女問わず様々な人がいたが、とりわけ自分と同じ世代の人が多いように感じられた。

社員からの形式ばった眠気を誘う退屈な説明を受けたのち、一人ずづ面接室に連れられた。

自分の番を待つ間は適度な緊張感に包まれ、決して頭がボーっとしたり真っ白にはならなかった。

30分ほど経ち、面接が始まっても特に詰まることもなく淡々と進んでいった。

マスクを着けてよかったのが緊張を和らげる大きな要因だったのだと思う。

一通りやり取りが終わったところで、あっさり採用されて業務の説明に入った。

人手不足のため、余程社会不適合のきらいがなければとりあえず採用して即戦力にしたいのだろう。

次回の勤務日が決まり、大きな達成感を抱きながら帰宅した。

 バックレ欲求との闘い

面接から約一週間後、勤務初日がやってきた。

前回の労働が年末年始の郵便局でのバイトだったため、そこからおよそ七か月半ぶりの労働。

緊張もあってか、早く起きてしまいあまり寝られなかった。

ちょうどいい時間に着くようにバス停に来たはずが、まさかの遅延。

初日から遅刻したら怒られることは間違いないため、バスに揺られながら、最寄り駅に着いた時間によってはバックレて帰ろうと思っていたが、何とか時間に間に合った。

 集合場所に着いたらちょうど他のバイトが社員に連れられて移動しており、来るのが遅かったため取り残されてしまったのではないかと思い、椅子に座りながらバックレようかと悩んでいたが、数分ほどしてさっきの社員がやってきて説明を受けた。

施設を回りながら細かい説明を受けたが、耳が遠いのか、はたまた頭が働いていなかったのかわからないが、全く理解できなかった。

隣のおばさんは質問しつつちゃんと理解していた様子で、帰りたいという気持ちが沸々と湧き上がってきた。

一通りの説明を受け、それぞれ配属された部署に向かった。

事務所に入った途端、目に入った光景に強烈な嫌悪感が生じた。

 薄気味悪いおばさんらが食っちゃべっていたのだ。

面接で見た自分と同じ年代の若者やおじさんが多いのかと思ったのに、とんだ思い違いだったようだ。

部長のような人が目を泳がせながら覇気のない小さな声で注意事項や報告などを読み上げ始めた。

それが終わったら突然、一斉に周りの人たちが上の方を指さして何かを呟き始めた。

僕はあたりをきょろきょろ見回して、新興宗教の会合に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚えた。

いきなり訓示を読み上げられても、何も知らないのだからただ立ち尽くすほかなかった。

 不穏な職場環境

仕事が始まり、しばらく放置されたため端の方に突っ立っていたが、台車を持ってくるように言われたため従った。

どこに置いていいのかわからなかったため適当に端の方に置いておいた。

すると急に横からおばさんが僕と台車の間に無言で入り込んできて「ここじゃねえよ」と言わんばかりの態度で来たもんだから、こっちも頭にきて「は?なんだてめえおい!」という態度で後ろから睨みつけた。

この様子を僕の指導係の優しいおばちゃんが見ていて、マスクを着けていたから正確にはわからないけれど、ひかれてしまったと感じた。

次に二人一組で流れてくるパン生地を板に並べる作業が始まった。

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ペアのおばさんが指導というよりも、イチャモンつけてくる感じだったからこれまたむかっ腹が立った。

板に乗せ終わったらそれを隣の人に渡すんだけれど、気づいてもらうために大きい声を出さなきゃいけなくて、そのたびに帰りたいと呟いていた。

昔コンビニバイトをしたとき、声が小さいやら低いやら言われたことがあって、それを今回も痛感した。

重なった板を持ちげるときに指先が痛くなり、またその日の夜に親指の付け根の関節がジンジンして痛くなった。

幸い翌日の朝には収まっていたが、これを毎日続けたら体がおかしくなりそう…。

 機械を詰まらせてデブ女社員に怒鳴られた

 時間感覚が麻痺していたためどれくらいやったかわからないが、しばらくして僕だけ呼び出されたから反抗的な態度を叱られるのかと勘繰ったが、別の作業をやらされることになった。

完成したパンを袋詰めする機械があって、それが詰まらないように監視する作業だった。

その機械は、手を巻き込むと取り返しのつかないことになる危険な代物だった。

「ここからは手を入れてはいけない」と申し訳程度に書かれた張り紙が貼ってあり、特に注意されていなかったため、その付近に思いっきり手を突っ込んでいた。

その時は何とも思わなかったが、今思い返すとゾッとする…。

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「立って見てるだけってめっちゃ楽じゃん」と舐め切ってよそ見していたら、太った女社員が僕に何かを伝えようと叫んでいたため視線を戻した。

するとベルトコンベアに大量のパンが詰まって、バベルの塔ができそうな勢いで積み上がっていた。

慌てて詰まりを直そうとするも時すでに遅し。

溜まりすぎてベルトコンベアから溢れたパンが地面に落下して、頭の中で廃棄行き確定のアナウンスが鳴り響いた。

社員や他のバイトが大声で僕に向かって叫んで指示していたが、耳が悪いのか全く聞き取れなかった。

「は?どうしろって言うんだ?」と外国人張りのジェスチャーを用いたら、デブ女社員がやってきて、キレ気味に「どいて」と言われた。

まともな説明一つせずにいきなりやれと言い、そのせいでミスしたらキレるって理不尽にもほどがあるだろ。

攻撃性を向けられたら、こっちもその気になってしまうのは人間として仕方のないこと。

ぶん殴りたくなる衝動を抑え、不機嫌な態度をとった。

指示されたときの返事は「はい!」ではなく、「はぁ。あぁ。」という不愛想な反応をしてやった。

その後も何か指示する際にわざわざ怒鳴ってきたため、悪態をつきながら作業していた。

周囲の人は僕のこの舐め腐った態度に気づいていて、「この人やばい」みたいな感じでちらちらと見られていた。

この時点で完全にバックレをキメることを決意していて、時計を見ながら「いつバックレようかな~」とそのタイミングを見計らっていた。

余談になるが、デブ女社員が指示する際の口調で、「~してもらっていいですか?」と疑問形なのが腹立った。普通に言えや。

 奴隷たちの群れ

 昼休みに入り、無料でパンが食べられると聞いていたため食堂に入ったが、なぜかみんな有料の定食を食べていた。

そのため、一人だけ無料のパンを食べるのは貧乏くさいし目立って恥ずかしいと思い、休憩室で放心状態でいた。

無料で済ませられるのにわざわざ汗水働いてかき集めたお金をよくもまあ簡単に使えるよな~と、底辺が底辺である理由が分かった気がした。

休憩室には社員から派遣、バイトまで様々な人がいたが、ガラクタを寄せ集めた墓場だと思ってしまった。

楽しそうに会話している人たちもいたが、生気がまるで感じられない人もいて、こんなところにいい年して働きたくなかった。

作業所も休憩所も冷房が効いておらず、長袖長ズボンで作業させられた挙句、休憩中も帽子やマスクを外してはいけない。

手が巻き込まれたら即病院送りの、危険な機械をほとんど説明なしでやらされる。

完全に従業員を人として見ていなかった。

単なる労働力、企業の歯車としか考えていないのは明らかだった。

ここにいる人たちは、人としての尊厳を踏みにじられているのに飄々としていた。

誰一人として抵抗の声を上げず、服従していた。

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劣悪な労働環境にサヨナラ

「ありえない!こんなところにこれ以上いられるものか!」

お昼休憩の一時間が過ぎ、荷物をまとめてずらかろうと思ったが、いささか空腹が気になった。

この期に及んで人の目なんて気にしてもしょうがないと思い、無料のパンを掴み、冷水をふんだくって窓際の席に着き、乾ききった喉とすきっ腹に放り込んだ。

周りを見たら同様にパンを食べている人がいて、別に当然の権利なのだし遠慮する必要はなかったなと。

休憩時間を過ぎてから食べ始めたため、当然仕事は始まっている。

このまま帰ると給料がもらえなくなる可能性が高まるため、退勤時間を記入して、もらえるだけもらってやろうと思い事務所に戻ったところ、同じ部署のおばさんと鉢合わせしてしまった。

「もう時間過ぎてるからみんな待ってるよ」

と言われ、

「はい!わかりました」

と今日一番の元気な声で返事をした。

そしておばさんがいなくなった瞬間、退勤時間を書き記し、速攻で荷物をまとめて更衣室で着替えて門に向かった。

門で名簿に帰る時間を書くとき、なんと早退したりバックレた人は僕一人だった。

あんな劣悪な環境に甘んじて貴重な人生や心身をすり減らすなんて正気の沙汰ではない。

僕以外の人間は狂っているかマゾなのだろうか。

それとも…。

脱走成功

門を出て僕はすがすがしい心持ちでいた。

自分の手で自由を勝ち取ったんだ。

小さな革命をここで起こし、人類の自由をめぐる闘争を身をもって経験した。

人権なんてあったもんじゃない監獄から脱獄して、僕の目に映る世界が色づき始めた。

色鮮やかな外界で水を得た魚のように

「バックレキモチェェ~~!」

と、思わず叫ばずにはいられなかった。

帰りのバス車内でも、つい一人で笑ってしまい、人々に奇異のまなざしを向けられるのが気持ちよかった。

電話で給料取り立て

二日後の朝、仕事をやめたい旨を伝えた。

理由を聞かれ

「職場の人に指示される際、怒鳴られたことでストレスが溜まった」

と言った後、心なしかぶっきらぼうな対応になった気がした。

「給料はもらえるんですかね?」

と聞いたら

「働いた分は口座に支給されます」

と言われガッツポーズした。

バックレたのに図々しいと思うかもしれないが、労働者としての権利を正当に行使しただけなのであしからず。

電話の最後、二度とうちではバイトできないと言われたが、言われなくてもあんな地獄こっちから願い下げだよ。

緊張して電話してる最中手が震えていたものの、礼儀正しくやり取り出来たと思う。

名札やカードなどの備品は、直接出向くのがめんどくさかったため、郵送で済ませた。

おわりに

求人広告を見て自分に合ってそうだと思い、いっぱい稼いでやるぞ~なんて意気込んでました。

そしてあわよくば友達を作ろうなんて思っていた自分が恥ずかしいです。

まさかこんなに早くやめることになるなんて…。

過度に自分や職場環境に期待しない方がいいってことですかね。

僕に落ち込んでる暇なんてありゃしないので、さっさと次の仕事見つけて働きます!

とても長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

二度目の精神科に行ってきた

皆さんお久しぶりです。

最近色々と忙しかったのでサボり気味になってましたが、やらない理由を探してもしょうがないのでコツコツ書いていきます。

 遅刻しかけた

先日、二度目の精神科に行った。

処方された薬がなくなったら行くことになっていて、2週間分あったところ、飲み忘れた日があったため3週間かかってしまった。

前回少し早く着いたため、今回はちょうどいい時間に行こうと思って油断していたら予想以上にぎりぎりに家を出発する羽目になった。

早歩きしながら目的地に向かっている最中、

「遅刻するくらいなら行くのやめようかな」

と今まで散々予定をバックレしてきたことで体の隅々まで染み渡ってしまった逃げ癖が出てきた。

だがここで悪魔のささやきに乗ってしまったらまた自己嫌悪の日々に陥ることが目に見えたため、甘言を振り切って特攻兵よろしく覚悟を決めて突撃した。

 今後の方向性が決まった

ドアを開ける際、少し緊張しそうになったが間髪入れずに開けることで煩悩を薙ぎ払った。

勧められた席に座り先生と対峙し、近況報告を行った。

前回から今回の診察までに、人混みに慣れるために商店街に行ったり引きこもらないように散歩したりしてきたが、人と直接関わる機会がないため変化がわからない旨を伝えた。

 

来年度の授業にちゃんと出席できるようになることがひとまずのゴールで、そのために半年ちょっとの間、バイトをやって人と関わることに慣れていくという方針になった。

バイトは段階的に人と関わる頻度の多いものにチャレンジしていき、リハビリのように徐々に社会適応していく。

まずは作業系のバイトをやっていき、次に少し対人関係を必要とするものをやり、最終的には接客業に就くという流れだ。

 

処方された薬については、正直あまり効果を感じられないことを伝えたが、飲まないよりは安心感があるし気休め程度にもらうことにした。

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 今回も漢方薬を2週間分処方してもらった。

 感想

前回に比べて時間の流れが早く感じた。

おそらく今回は話を聞くよりも自分が話す時間が長かったからだと思われる。

 

前の記事で浮き彫りになった課題として、親に大学をサボったことを言っておらずそのことを伝えられなかったことを挙げた。

しかし今回もまたそれが言えなかった。

初診で伝えた悩みをどのように解消していくかという作業のため、別の悩みがあるなど思いもしないだろう。

話の流れ的に今言うと色々とややこしくなりそうだと思い躊躇してしまった。

悩みを暴露することを避けてしまうのもまたこのパーソナリティ障害の弊害なのだろう。

親との問題は一旦置いておいて、長年逃げ続けていた精神科を受診できたことを考えると、難なくとは言いすぎにしても努力次第でいくらでも変えていけるという自信につながった。

 

明確に進むべき針路が定まったので、あとは余計なことを考えず突き進むのみ!

人並みの人生を歩めるように頑張るぞ~

人生で初めて精神科に行った話

先日、精神科に行ってきました。

今までずっと足踏みしてきたわけですが、励ましのお言葉を頂いたり、気持ちを文章に書き起こすことで思考が整理されて、やっとこさ重い腰を上げて一歩踏み出すことができました。

本当にありがとうございました。

今日はその時の様子や感想、考察をすべてここに吐き出そうと思います。

最後まで読んでいただけると幸いです。

 時は満ちた

オンライン授業で引きこもりが正当化されている昨今であるが、このまま現状に甘んじていないで、そろそろ動き出して根本的なところから変えていかなくちゃと思った。

そこで精神科を調べると家の近くにあり、評判も良かったため、一か八かで予約した。

しかし、これまで幾度となく精神科に予約し、建物の入り口に立った途端に体が拒否反応を起こし、Uターンしてそのまま泣きながら帰路に就くなんてことを繰り返してきた。

そのような前科を抱えているため、結局これまでの二の舞になってしまうのではないかという恐怖感と閉塞感が頭にこびりついて離れなかった。

電話する段階でかなり緊張したが、声が震えないようにあえて堂々と喋って何とかその場を切り抜けた。

どういうことで悩んでいるのかと聞かれ、「人と話すときに顔が赤くなってしまって、それを見られるのが嫌で学校に行けていない」と答えた。

今までは電話で症状を聞かれることはなかったため少し動揺したが、ブログを書く中で原因や悩みが頭の中で整理されていたのでスムーズに話せた。

当日は時間が来るまで精神科に行くことを考えないようにアニメを見て過ごしていたが、一、二時間前になると頭が働かなくなり内容が右から左に流れて行ってしまったため、布団に転がって心を落ち着けようとした。

しばらく寝転がっていると、うとうとしてきたため、寝坊してはまずいと慌てて身を起こした。

時計を見るといい感じに時間が経っていて、すぐさま出かける用意をして家を出た。

寝そうになっていたためか過度の緊張はなく、心地よいレベルの緊張状態であった。

 人生初の精神科

事前に散歩がてら下見をしていたため、道に迷わず診察の10分前に到着した。

閑静な住宅街の一角、辺りを入念に舐めるように見渡さないと気づかないところにそれはあった。

ひっそりと佇む小さな診療所だったため安心感に包まれ、怖気づき立ち尽くしてしまうことなく、一息ついて呼吸を整えたらすぐにドアを開けた。

入ってすぐ僕と同じくらいの年齢の青年が座っていたのが目についた。

この瞬間「お前もか~!」と同志を見つけた喜びで晴れやかな気持ちになった(少し後に母親らしき人物が診察室から出てきて彼はただの付き添いだということが分かったのだが…)。

待合室は小さな病院特有の狭さと和やかな雰囲気で、リラックスして精神を統一することできた。

突然走り出してここから逃げ出せるかと考えてしまった瞬間もあったが、受付を済ませた以上、保険証を返してもらうまではこの小屋からは逃げられないため、強制的に逃げ癖を抑えられた。

症状などを書く際、ありのままを書くのが恥ずかしく思い、最初は大学生になってから発症したと書いたが、それじゃだめだと思い、高校から悩んでいる旨をしっかり記した。

 いよいよ診察へ 

名前が呼ばれ診察室に入ったら、ヒョロヒョロで神経質そうなおじさんが机に資料を並べ座っていた。

お互いにぎこちない挨拶を交わした刹那、精神科医の第一声が「そんなに大変ですか?」だった。

口コミに書かれていたごく少数の悪評が脳裏をよぎった。

僕は「あ…はい。」としか言えなかった。

少し戸惑ったものの、この医者は煽ったつもりはなく、純粋に言葉の選び方が下手なのだと会話していて感じた。

その後記入した内容をもとに質問され、現在の状況や症状についてのエピソードなどを話した。

人前で赤面してしまう、それを見られるのが嫌で学校に行けていないこと、他人が同じ空間にいることで緊張して排尿することができないことを伝えた。

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その結果、社会不安障害(社交不安障害)だと言われた。

治療法としては薬、認知行動療法森田療法があり、薬を使うことはできないと言われた。

正直薬を飲めば解決すると思っていたもんだからがっかりしてしまった。

社会不安障害の薬は副作用が大きく、自殺念慮を抱いてしまったり不妊の危険性がある。

30歳を過ぎて働いている人は時間がないためやむを得ず処方するが、若いのにそれは可哀想だとのこと。

本当は感謝しなければならないが

「これまでも男女交際なんてしたことねえし、これからもそんな機会はねえよ!余計なお世話!てめえはとっとと薬出せばいいんだよコラ!」

とキレそうになってしまい、何とか抑えた。

どうしても欲しいなら親御さんの同意が必要と言われた。

また、この薬は若い人が飲んでも十分な効果がある例はあまりないらしい。

そこで投薬以外の治療法である二つのうち、森田療法はやっているところが少ないため、認知行動療法を勧められた。

社会不安障害は薬を飲んでも一時的に症状を抑えるだけで寛解するには長い時間を要するため、ものの考え方を変えていくのが基本となる。

主にポジティブ思考に変えることで、例えばコップに半分水が入っているとして、もう半分しかないととらえるのではなく、まだ半分もあるととらえるといった具合だ。

ここではその治療はできないから、できるところを紹介すると言って病院名の書いた紙を渡された。

他には、大学のカウンセリングを利用するように勧められた。

ペアワークやグループワークができないなど、そういう悩みをそこで打ち明け対処してもらうのがいい。

完全に治して人と同じように生活するのは難しいが、外でトイレする際は個室を使ったりすればいい。

オンライン授業で顔出しがあるときはマスクをつけてやるとか、ちょっとづつ慣らしていくことが重要。

「大学に行ったり、友達を作ったり、そういう普通の生活を送りたいんですか?」

と尋ねられて

「そうですね」

と返したが、実際はそんなこともうとっくに諦めている。

最低限生きていけるだけの稼ぎを得るために働きたい、それだけだ。

引きこもると悪化するので外に出て買い物や映画に行くなどした方がよいとも言われた。

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一通り診察が終わり、副作用がない漢方薬を処方された。

浮き彫りになった課題

実は今回言えなかったことがある。

対面で顔がこわばって表情が引きつることと、大学をサボっていたことを親に隠していることだ。

先生は、僕が大学に行けていないことを親は当然知っているものだと思い込んで話を進めていて、まあ普通はそうなるよなぁと思った。

大学からの手紙、成績表、奨学金停止の通知書など、サボっていることがばれそうなものは、ネットなどで事前に来そうな日をチェックしておき、すべて親の手に渡る前にポストに取りに行き回収した。

一度奨学金停止の通知書が予想していなかった日に唐突に来たことがあって、その日たまたまポストを見たら届いていて度肝を抜かれた…。

普通、大学からの親宛の書類や本人の様子からわかるものだが、幸か不幸か奇跡的にばれていない。

それらのことを次回ちゃんと言おうと思う。

おそらくこのことや、バイト、精神科の予約を何度もバックレしたことも含めて、社交不安障害だけではなく回避性パーソナリティ障害があるのではないかと推測している。

「赤面恐怖が治れば大学に行けるんですか?」

と問われ、

「多分そうだと思います…。いや、でもわかんないです…。」

みたいにしか答えられなかった。

確かにそれ以外にも雑談が苦手で礼儀が身に付いておらず、それによって恥をかきたくないから逃げてしまうのではないか。

逃げ癖がついてしまったのがすごく大きいと思っていて、ネットで調べたところによると、これこそまさに回避性パーソナリティ障害なのだと思う。

 これから

症状が出て4年、精神科に行こうと思ってから1年以上誰にも言えず一人で苦しんできたが、初めて対面で吐露した。

 長年行くことが叶わなかった精神科に行けたことで達成感を得て、精神疾患が原因なのに単なる怠け者としか思われない悔しさや恐怖心を解消できた。

どんなにネット上で嘆いたって救いなんかもたらされることはなくて、人間最後は自分で行動していくほかない。

けれど、ネットでの後押しがあったからこそ一歩を踏み出せた。

ツイッターやブログを始めて本当に良かったなと思います。

改めて皆さんに感謝したいと思います。

これからも歩みを止めず頑張っていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。