僕は人生を諦めない。
その夢叶えるまでは。
早朝バイトに落ちた
前のバイトをバックレる前に、掛け持ちしようと早朝バイトの面接に向かった。
朝日が昇る中、お店の開店に合わせて眠気を払い除けた。
結論から言うと、落ちた。
理由はおそらく単位数の問題だろう。
僕は大学3年生だが、この学年になると就活で忙しくなったり、2年弱しか働けないということもあり、なかなかバイトに受からないと聞いた。
そこで、働ける期間が長い方が採用されやすいだろうと思い、単位を落として留年が確定していることを告げた。
すると
「何単位取れてるの?」
と聞かれ、咄嗟に
「半分(60単位)くらいとりました」
と盛ってしまった――本当は18単位しか取れていない。
その結果、
「それなら留年しないで卒業できない?」
と言われ、その場では必死にお茶を濁したものの、面接担当者が訝しんでいるのは明白だった。
その後、面接を終え解散するまでに、そのことについて3回ほど言及された。
「頑張りなよ。オンライン授業で楽に単位が取れるんだから。留年したら100万円以上かかるんだし」
確かにおっしゃる通りだが、正論で人は救えない。
「わかったような口を利くな!」
と叫びたくなったが、客観的に見たらそう思うのも当然だと気づき、相手の波長に合わせた。
このことから、面接において正直に言うことは必ずしもプラスに作用するわけではないと学んだ。
勤務時間や仕事内容、職場の雰囲気的にあまり気が進まないところがあったため、今では落としてもらえてよかったと思う。
あなたは何を望む?
僕はこれから何をして、どう生きていきたいのか。
それが曖昧になっている気がした。
何で働きたいの?
「人並みの人生を送りたい」
「普通の人生を送れないのなら生きてる意味はない」
そんな固定観念が僕の頭をもたげた。
自分の中に確固たる信念がないと、人の意見にいとも容易く流されてしまう。
だが、人生の中心に大きな柱が通っていると、迷いなく行動できる。
自分の人生における軸は何なんだろうか。
信じたいものは?
大切なものは?
守りたいものは?
改めて考えてみると、僕の理想とする人生が見えてきた。
僕の夢
僕には夢がある。
恋をして、子供を作り、毎日を幸せに生きる夢。
素敵な人と巡り会えたなら、その人を心から愛して、いずれ生まれてくる子供を大切にしたい。
そしていつの日か、僕が感じてきた喜びも悲しみも苦しみも全部伝えたい。
僕の見る世界を共有したい。
これが僕の行動原理である。
そのためにつらい思いをしてまでアルバイトにこだわるんだ。
バイト通じて、働くことや人と関わることに慣れていき、いずれ出会うであろうお姫様に相応しい王子様になってみせる。
人の夢を笑うな!
僕の夢は大きい?
小さい?
浅はか?
あなたは、僕の夢を嗤うかい?
この国は夢を追いかける人を馬鹿にする風潮がある。
知らないものを知ろうともしないで
「お前には無理だ」
「そんなことできるわけがない」
「悪いこと言わないからやめとけ。お前のためを思って言ってるんだ」
と決めつける。
彼らは
「自分にはどうせ無理だ……」
と夢を捨てたのだ。
だから、身の丈に合わない目標にひたむきになれるのが羨ましくて仕方ないのだろう。
夢を諦めた人は、夢追い人に嫉妬して憎んで足を引っ張る。
何も知らないくせに嘲笑う。
もし自分が不幸の最中にいる悲劇のヒロインだと思い込んでいるならば、人の幸せを素直に喜ぶことはできない。
自己憐憫に耽って困難に立ち向かおうとしない。
己の惨めさに向き合えない人たちが僕らに牙をむく。
でも大丈夫。
嗤われるということは、主人公である証明なのだ。
いつだって、成功者は有象無象の脇役に馬鹿にされるのだから。
高望みしたっていいし、背伸びしたっていい。
恥ずかしがらず口に出してみよう。
語れない夢は決して叶わない。
夢ってのは、言葉にして初めて動き出すもの。
一度動き出したら止まらない。
ゴールめがけて一目散に進み続けるだけ。
地獄のような日々を送った
昔の僕は本当に何もできなかった。
ありとあらゆる視線が自分に向けられたものだと錯覚して、通りすがる人々に怯え、前を向いて歩けなかった。
視覚が機能せず点字ブロックを頼りに道を歩いた。
つまるところ、僕は自意識過剰が極まっていた。
ファストフード店すら怖くて一人では入れなかった。
高校生の頃はマクドナルドが怖かった。
朝からコーヒーを飲んで優雅にキーボードを打ち込むサラリーマン、これが生きがいと言わんばかりに愚痴大会を開く主婦、人に迷惑をかけて悪目立ちすることが生きがいの高校生の群れ。
彼ら彼女ら全員が、僕の目には人生の勝利者に映った。
僕は世界の誰よりも劣等感を抱えていて、自信やら自己肯定感なんてものは微塵も持ち合わせていなかった。
大学受験の時、入試会場の場所を人に聞けなくて試験を受けられなかった。
バイトの面接に行けず何十回もバックレた。
スーパーで買いたい物の場所を店員に聞けなくて、泣きながら帰ったこともある。
人生の夏休みと言われる大学生活は、不登校の僕にとっては永遠に続く冬のように感じられた。
「いつ春が来るんだろう……。そろそろ限界だよ……。このままじゃ凍死してしまうよ……」
大学の教室に入れず自分の部屋に引きこもり、一日中不機嫌に過ごしてた。
ネガティブ思考になって自分の悪いところばかり目につくようになって、「こんな醜い容姿で生きていけるわけない! 対人恐怖症は死ななきゃ治らない!」とやけになってた。
「僕は対人恐怖症のせいで悲惨な生活を余儀なくされている。まだなのかっ! 救済はまだなのか!」って助けてくれない社会を恨んだ。
親には不貞腐れたような表情で接して、暗い気持ちにさせた。
「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」
毎日のように生と死の選択を迫られた。
無限に続く苦しみの連鎖から抜け出そうと死の扉に手をかけた。
僕は死にかけた。
いや、心はすでに死んでいて、あとは体の機能を停止させるだけだった。
自殺未遂――駅ビルから飛び降りようとした。
それでも僕は死ななかった。
見知らぬ人に八つ当たり
僕は頑張れない理由探しをしていた。
「僕が頑張れない理由は社交不安障害だから。過去にトラウマを植え付けられたから」
「僕は社会にいじめられた被害者だから頑張らなくていいんだ!」
そうやって他人や過去のせいにして言い訳してきた。
バイトの面接に行く直前、
「帰ろうかな。また次頑張ればいいよね」
とか
「もう死ぬからいいや……」
って必死にその場から逃げようとしてしまう。
でも結局、家に帰ってから
「うわ~、行っとけばよかった」
と後悔する。
死ぬ勇気なんてないくせに
「人生どうでもいい! もう死ぬ!」
を連発する。
駄々をこねる子供というか、男版メンヘラというか。
何十回もバックレた。
別にそうしたくてやってるんじゃない。
本当は面接を受けたかった。
早く働いて社会の一員になりたいから。
それなのに、何度面接会場についても怖くなってそのまま帰ってしまう。
一向に成長できない自分に苛立ち、街中で
「クソっ!」
って怒りを叫んだり、通りすがりの人に舌打ちしたり肩をぶつけたりした。
僕は、自分がいかに不幸かを強調して、世界一不幸な身の上にあると信じてやまなかった。
アフリカの水を飲めない子供たちよりも自分は不幸だと本気で思っていた。
だから、
「僕はこんなにも不幸に見舞われているのに、なんで他の人は楽しそうに生きてるんだ! ズルい! 幸せそうに生きる人に少しくらい危害を加えても罰は当たらないだろ!」
と他人をストレスのはけ口にすることを肯定した。
病気のせいで、障害のせいでこうなってるのであって、自分は何も悪くない。
「苦しんでいるからその分人を傷つけてもいい」という卑劣な自己正当化を行う責任転嫁の権化。
おぞましい被害者面で世界を敵に回した。
見ず知らずの人がどんな事情を抱えてるかなんて考えもせず、ひたすらに羨んで、憎んで、呪った。
「愛」と「感謝」
しかし本当は、不幸なんてとんでもない、世界一番の幸せ者だった。
僕は両親から溢れんばかりの愛を受けて育ってきた。
今まで満たされない苦しさに苛まれていたけれど、実はもうとっくに満たされていたんだ。
幸せであることを放棄して、わざわざ不幸であろうと選択したのは他の誰でもない、自分だ。
そう気づいてから、親不孝極まりない僕を見捨てないでくれた両親に、そして僕と関わった全ての人に、心から感謝した。
この気持ちを絶対に忘れないようにしようと思った。
何不自由なく暮らせている現状をまっすぐな瞳で見れるようになってから、少しづつだけど人生が好転し始めた。
商品の場所がわからなかったら店員さんに聞けるようになったり、あんなに怖かったバイト面接にも行けるようになった。
環境のせいにするのではなく、自分の内面――弱くて醜い部分と向き合うことで道は開けるのだ。
他者比較して無いものねだりしてもしょうがない。
無いものではなく、有るものに目を向けよう。
そうしたら人は、今この瞬間から幸福者になれる。
僕はもう十分に幸せだ。
世界一立派な両親がいて、笑顔に包まれて毎日を過ごしている。
愛を身体中で感じる。
それでも、貪欲に、さらなる高みを目指す。
恋をするとどんな気持ちになるのだろう。
夢をかなえたその先に何が待っているのだろう。
想像するだけでワクワクしてこないだろうか。
僕には見えるのだ。
数年後、愛しき人と永遠の愛を誓い合う姿が。
愛の結晶を二人で見守る未来が。
息絶え絶えに「来世でも会えますように」と祈るその瞬間が――。