蝉が鳴き始め、夏の訪れを感じる頃、僕は自殺予告した。
そして、冷酷に思えたこの世界に、人のぬくもりという美しさを見た。
つい数日前、
「もう死にます」
といったツイートをした。
理由は、またアルバイトをバックレてしまったからだ。
バイトバックレを繰り返す自分に呆れ果て、絶望した。
バイト面接を克服
僕は今まで、バイト面接を30回以上バックレてきた。
電話で予約するまではいいが、面接会場に近づくにつれて足取りが重くなる。
店の前に着いた途端、不安は恐怖に変わり、Uターンして駆け出すのだ。
泣きながら家へ逃げ帰った。
面接開始時間が過ぎ、電話がかかってきたときも、布団の中で耳をふさいだ。
「一生バイトの面接すら行けないんだ……」
と枕を濡らした日は数知れず。
しかし、僕はそれを克服することができた!
自分が今置かれている状況がいかに恵まれているか。
両親がどれほど僕に愛を注ぎ込んできてくれたか。
21歳にしてようやくそのことに気づき、感謝し始めてから、僕は変わった。
あんなに怖かった面接に行って、採用され、勤務初日もトラブルなしで終えた。
こうして僕の人生は軌道に乗り始めたかに見えたが……。
――バックレた。
たった1日で。
だって、2日目からは僕と同じ大学生の人たちと顔を合わせることになってたんだもん。
同世代の人に陰キャだって思われて、馬鹿にされるのが怖くてたまらなかったの……。
大学に行けない理由も同じ。
ぼっちだったり、挙動不審だったり、赤面してしまったりで、恥をかくのが嫌だった。
またバックレ
不思議なことに、死にたくなるほどのショックを受けることはなかった。
念願の「バイト面接に行く」という成功体験を得て、自信がついたのだ。
とはいえノーダメージというわけにもいかず、2週間ほど休息をとった。
休息といっても、失敗することよりも何もしないことの方が罪悪感を感じるもので、思いのほか心は休まらなかった。
再びバイト面接を受け、難なく採用された。
数日後、契約しに行ったが、なぜか気が進まなかった。
目的地に向かう途中、建物のドアに反射して映る自分の姿が醜く、思わずため息をついた。
店の前まで行ったはいいが、中に入れなかった。
自分に自信が持てなくなったのだ。
1分ほどの葛藤の末、そこを後にした。
その結果、僕はひどく落ち込んだ。
自殺予告
帰り道、以前から探していた即死に十分な高さの建物を見つけた。
屋上から下を見下ろすと、コンクリートの上に無数の人が行き交っていて、
「最期に注目されて終わるのも悪くないな」
と妄想を膨らませた。
飛び降りで有終の美を飾れると思った。
あの空に舞い散れば、希死念慮から解放されるような気がした。
「近いうち、ここから飛び降りよう」
そう決意すると、ツイッターにて自殺予告をした。
『もう疲れた。自殺します』
こんな感じの、かまって欲しさ全開のツイート。
僕は紛れもなく「メンヘラ男」だった。
この出来事の前日に
『僕は人生を諦めない!』
という旨の記事を書いたにもかかわらず、舌も乾かぬうちに自殺宣言。
「やっぱり僕には無理なんだ! 一度逃げ癖がついたら一生治らないんだ! もう死んでやる!」
と自分の愚かさに絶望し、いとも簡単に人生を諦めた。
『死なないで』
『無理しないで』
『生きてるだけでえらい!』
といった、自殺を止めてくれるリプライをフォロワーの方が送ってくれた。
心配させてしまったことに申し訳なくなって、自殺予告のツイートはすぐに消した。
その後、なんとAmazon欲しいものリストに入れていた「アマゾンギフト券」「ミルクココア」が届いた!
ココアは1袋しか入れていなかったのに3袋も……!
感謝してもし足りないけれど、心より感謝申し上げます。
また頑張ってみようって思えました!
早速いただいたココア飲んだ。
冷房の効いた部屋で飲むホットココア(以前いただいたコーヒーカップに注いで)は、人生の苦さを甘さで上書きした。
僕は、人間賛歌を口ずさんだ。
半年ぶりの精神科――メンタルクリニック
バックレ翌日、前もって予約していた精神科に行った。
予約するときは
「久しぶりに行こうかな~」
って感じだったけど、まさか病んで死を決めた翌日になるなんて、タイミングが良すぎると思った。
半年前とは別の先生だったが、優しくて温厚な人で、今まで黙っていたこと、恥ずかしくて話せなかったことを全部吐き出せた。
- 公衆トイレで、隣や後ろに人がいると尿が出ない
- 同世代が怖い
- 人に馬鹿にされるのが怖い
- 「逃げ癖」がひどくて何十回もバイトの面接をバックレちゃった
そして徐々に改善できたことも伝えた。
- 不甲斐ない自分への苛立ちを表に出してしまい、家族にもそれが伝染していた→両親への感謝の気持ちを持ち、負の感情を表に出さないことができるようになった
- 親との関係が改善され、家庭の雰囲気が格段に良くなった
- 「親や社会や環境が悪い! 僕は被害者だ!」と責任転嫁しなくなった
- 逃げ続けたバイト面接に行けるようになった
着実に成長していて、周りの環境もそれに比例してよくなってきている。
しかし、前日にバックレてしまったことで、僕は落ち込んでいた。
その様子を親に察知されてしまった。
両親から事情を聴かれたけど、はぐらかした。
この件で前ほどではないにしろ、親子間の空気感は少しばかりぎくしゃくし始めていた。
そこで先生にこう言われた。
「親に相談したり、悩みを打ち明けることが出来なければ、社交不安障害は治りません」
「親は一番身近な人だから、そういう人に不安を感じるのであれば、当然赤の他人にもそれと同様かそれ以上の恐怖を抱くでしょう」
僕は
「確かに!」
と納得はしたものの
「親に言っても根性論を振りかざすだけだと思います……」
と、親と向き合うことから逃げる言い訳を作った。
親に全てをさらけ出した
帰宅して、ママの作った世界一美味しい夜ごはんを食べているとき、思い切って親に打ち明けてみた。
「黙ってたけど、実はバイトバックレちゃったんだよね……。店の前まで行ったけど怖くなって……」
すると両親は、1ミリの怒りも見せず
「そうだったのか!」
と話を聞いてくれた。
今まではあやふやなことを言ってごまかしてきたが、
- 逃げ癖があって、バイト面接をバックレまくってきたこと
- 赤面恐怖症
- 排尿恐怖症
- 自分のことをブサイクで醜い容姿だと思っていること
具体的な悩みを赤裸々に語った。
その際、親の過去の話も聞けて楽しかった。
溜め込んできたものを吐き出せて、励まされ、とてもスッキリした。
すごく楽になった。
重りが下ろせた感じがする。
なんであんなに意地張って拒絶してたんだろうね。
人を信じ、自己開示することの大切さを身をもって学んだ。
生きてたら、きっといいことがあるよ
人の優しさ、温かさ、愛おしさ――この世界は美しい。
醜悪なモノばかりが目に付くかもしれないが、実は身の回りには宝石が転がっている。
日常の些細な物事に楽しさを見出せば、そこはもう宝の山だ。
きっと僕は、これからも自殺予告を繰り返す。
一度生まれた自殺欲求は、僕が弱った途端に顔を出すだろう。
困難に躓いては、立ち上がり、また走る。
それは耐えがたいほどの痛みを伴う。
けれど、生きてさえいれば、いつの日か報われるから。
人生を諦めないで、死に逃げないで、生にしがみついて。
ときには誰かに頼って。
頑張っている姿は、誰かがきっと見てくれてる。
もし手を差し伸べてくれたら、素直に頼っていいんだよ。
一生無理だと思っていた「アルバイトの面接に行くこと」ができるようになった今、僕に怖いものなんてない。
これからもどんどん成長していって、どんなに苦しくても生きてればいいことがあるって、僕が証明するよ。
だから目を凝らして見ててね。
冷酷に見えたこの世界は、柔らかな日差しによって煌めいた。
その中で僕は思った。
ああ、これは夏の暑さにも負けない、ぬくもりだ――。
※はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」応募記事