日記

恋愛も結婚もしなくていい。「普通」の人生を送らなくても幸せならどんな生き方だって正解だ。

前回の記事で、恋愛こそ至高であり、それをしない人生など無価値だという主張をした。

だが、それは暴論この上ないものだった。

人の人生にケチつけているのは他の誰でもなく僕だった。

本人が満足していればそれは正しくて、他人がとやかく言う権利はない。

何も知らない人間が、人が幸せか不幸せかを勝手に決めつけるのは間違っている。

恋愛は数ある娯楽の一つにすぎない

たくさんの娯楽が溢れている時代に、みんながみんな従来の生き方をする必要があるのだろうか。

恋愛して結婚して子供を作り、ローンを組んでマイホームを建てて、車を買って、死ぬまで働き続けることが正しい生き方なのか?

恋愛は昔から行われてきたが、それは娯楽がなく他にやることがなかったから暇つぶしにしていたのだと思う。

人を愛することは素晴らしいことだと思うが、それは数ある遊びの一つであり、ラブソングで説かれるほどたいそうなものではない。

どや顔で繁華街を闊歩するカップルを見かけても引け目を感じる必要なんかないんだ。 

「普通」の人生を送っていても不幸な人はたくさんいる 

離婚、別居、家庭内暴力、ご近所トラブル、様々な苦労がある。

金持ちと結婚して玉の輿に乗った人でも、同じ町内に住むママ友同士でマウント合戦に勤しんでいる。

毎日夫や子供、ママ友の不平不満ばかり口にしている彼らが幸せとは到底思えない。

そんなものが理想の生き方なのだろうか。

かたやホームレスでも毎日楽しそうに笑って過ごす人がいる。

毎日アニメを見て笑ったり涙を流したりして、喜怒哀楽を存分に表現している人もいる。

どんな境遇にいようが、その人がどう思うかが全てなのだ。

普通の人生なんか送らなくても、考え方次第でいくらでも楽しめる時代だ。

人間は心の持ちようで幸せにも不幸にもなれる。

独身貴族と言われるように、結婚なんてしない方が案外良いのかもしれない。

孤独死が嫌で家庭を持つ人もいるらしいが、たまたま全員が外出しているときに倒れてしまえば結局一人で死ぬことになる。

そうなれば孤独死を避けるためにやってきた努力が全て水の泡だ。

結婚して孫の顔を見せることだけが親孝行ではない

やりたいことをやって、楽しんで、その姿を見せること。

それだけで充分な親孝行だと思う。

僕たちは親に恩返しするために生まれてきたわけじゃない。

幸せになるために生まれてきたんだ。

他人に何かするより、まずは自分が幸せにならなくちゃ。

そのあとでいいんだよ、親孝行なんて。

余裕ができたら親に、社会に還元すればいい。

つらい時は好意に甘え、支えてもらい 、自立したら今度は支える側になればいい。

人間関係や社会はそんなふうにあるべきだと思う。

ビッグマウスで自分を苦しめた

「普通の人生を目指す!」「人生逆転して馬鹿してきたやつら全員見返す!」

そうやって大口を叩くことで自分を奮い立たせようとしていた。

口にするだけで何かが変わると思っていたのかもしれない。

でも実際は何一つ変わらなかった。

何もない日常が淡々と続いていた。

状況は何も変わらず、焦燥感ばかりが募り、希死念慮はみるみる膨れ上がり、自暴自棄になった。

自分を追い込んだ結果、心に病みを作り上げてしまった。

実力と不釣り合いな目標を立てても、自分の無能さに直面して打ちひしがれることになる。

意気込みだけはご立派で、肝心の行動は全く伴わない。

夢を見ることで現実から目をそむけた僕は、その反動で自己嫌悪に苦しんだ。

布団の中では威勢よく妄想を膨らませて全能感で満ちているが、外に出た刹那、生まれたての赤子のように泣きじゃくって救いを求めるのである。

底力のある人ならば、追い込まれたとしても窮鼠が猫を噛むように反旗を翻して這い上がれると思うけれど、僕はあまりに繊細で、ただ心を自傷して終わった。

僕にはこのマッチョイズム的な、本能に訴えかける手法は向いていなかった。

粘り強い人間は死にたくないから必死に頑張ると思うけど、僕は傷つくくらいなら死を選択してしまう。

逃げ癖が骨の髄まで染みついていて、それは死すら防空壕とみなしてしまうくらいには僕の常識を覆した。

僕が「普通」になることは未来永劫ないだろう

僕はこれまでの人生で人並みにできたことがほとんどない。

何をやっても平均未満の出来損ないだった。

生まれた瞬間から普通ではなかった。

常に他人より下にいて見下され、衝動的に暴れだす異常者だった。

色んな人に迷惑をかけて、親に幾度となく頭を下げさせた。

周囲の人は僕に呆れ果てていた。

誰もが僕を避ける中で、劣等感だけがいつも隣にいた。

嫌味たらしい笑みを浮かべ、僕にまとわりついた。

一度だって普通に手が届いたことはないんだ。

そんな人間が今更「普通」になろうなんてそもそも虫が良すぎたのだ。

身長が欲しい、顔がよくなりたい、性別を変えたい、叶うことのない願望は誰にだってあると思う。

僕にとって普通の人生を送りたいという願いはそれらと同じ類の物なのだ。

願いが叶わないからといって死ぬ人はほとんどいない。

無い物よりもある物、楽しいことに目を向けて生きているからだ。 

見栄も世間体も捨てて、心の声に従って生きる

普通の人生を送りたいという願望は、世間体に支配された考え方だ。

一番惨めなのは、大事なことを他人にどう見られるかで決めてしまうこと。

傍から見たら孤独でも、ネットでつながりがあるのかもしれないし、二次元の中に入り込んでいて満たされているのかもしれない。

目に見えることだけが正しいわけじゃない。

自分以外の人間がどういう気持ちで暮らしているのかなんてわからないのに、外面だけで判断してはいけないんだ。

大事なのは内面だ。

他人には見えない、自分しか触れることのできないところ。

だから僕は、心の声を聴いて、虚栄心抜きの本音と向き合おうと思う。

そして自分なりの幸せを見つける。

木々が風に揺られ立てる音、寝起きの身体ににコップ一杯の水が染み渡る感覚、凝り固まった姿勢を正す瞬間。

小さな喜びに価値を見出せる人こそ美しいと思うし幸せな一生を送るのだろう。

僕もそんな、ささいな日常の大切さを抱きしめながら生きていきたい。