日記

対人恐怖をこじらせて一年間大学に行ったふりをしていた話

こんにちは。みぃです。

今日は僕が大学に入学し、授業を受けることなく一年間を過ごしたことを赤裸々に書き綴ろうと思います。

20歳とは思えない行動に恥ずかしくて書くことを憚られますが、ありのままを晒します。

 大学に不本意入学

僕は一年浪人して今の大学に入った。

志望校に落ち、適当に決めた滑り止め校に入学した。

最低でもここは行きたいというラインを昔から持っていたがそれ以下の大学だった。

正直もう一浪してでも上の大学に入りたかった。

親は叱ることなく励ましてくれたが自分の中では全く納得できず、もやもやした気持ちを抱えながらの入学だった。

 僕の通っている大学は入学式の前にガイダンスがあり、そこでほとんどの説明が済み入学式は自由参加のものだった。

親にそのことを伝えたら行けと言われたが、一人で参加するのは嫌だったし、何よりこんなレベルの低い大学の入学式なんか出れるかよと思い行かなかった。

入学式後も何回かガイダンスがあったが、生徒と教授とでご飯を食べるという僕にとって苦行以外の何物でもない時間がありサボった。

親が知ったら絶対キレられるから、行ったふりをして近所を自転車で走り回って時間をつぶしていた。

授業開始前にサークル勧誘期間があったが、裏口から入って声をかけられないようにして逃げてしまった。

「声をかけられて変な反応をしてしまったらどうしよう…。」「それ以前に見た目がキモくて話しかけられなかったらどうしよう!」

高校時代は誰とも関わらず空っぽでつまらない日々を送っていたため、大学デビューしてやると意気込んでいたのに人が怖くて逃げてしまった。

 現実逃避の仮面浪人

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そして授業初日、僕は出席しなかった。

その時間どこにいたのかといえば図書館である。

僕は仮面浪人をすることにしたのだ。

もっといい大学に行けば楽しい大学生活が送れるんだという一縷の望みにかけて。

ただ、本音は授業に出て他人と関わるのが怖かっただけ。

自分の問題を大学に責任転嫁したのだ。

親にばれないように授業の時間割通りに家を出て、図書館で勉強して(スマホいじりが大半)、夕方になったら帰宅する。

こんなサイクルを1ヶ月くらい続けた。

その間、親や親戚にサークルに入れとしつこく言われたが適当にあしらっていた。

そんなこんなで勉強を続けていたが、ふと思った。

スマホばっか見て全然集中できない・・・。」

仮面浪人という最終手段、学費を無駄にして背水の陣を敷いているにもかかわらず本気を出せない。

こんな人間は一生まともな大学に受からないなと悟り、仮面浪人をやめた。

 夏休みになるまで暇つぶし

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仮面浪人をやめたため、授業に出ようかと思ったが、今更出ても単位を取れないし後期から頑張ろうと自分に言い聞かせ、出ることはなかった。

授業に出ないからと言って他にやることもなく、その時間は通学途中にある図書館を何個か見つけ、そこで本を読んだりスマホをして時間をつぶしていた。

大学生にもなって授業をさぼり、日が暮れるまで図書館で無為な時間を費やし、親には授業に出ているとを装っていたが、本当に惨めだった。

一年間浪人して手に入れた大学生活がこれか…って。

 引きこもりの夏休み

そうして夏休み。

やっと長い大学生活もどきを半分終えた僕は一息ついた。

親はまさか自分の息子が大学に行ったふりをして本当は行っていないなんて思いもしていないけれど、サークルに入らず友達がいないことはわかっていたため、かなり気まずい雰囲気になっていた。

そんな中で、長期休みで母親とずっと同じ家にいるのはお互いの精神状態にとって毒だ。

だから僕は夏休み中部屋に引きこもって、ひたすらアニメを見るかネットサーフィンをするか筋トレをしていた。

お互い必要最低限しかかかわらずに済むのだからwin-winだろうと思って。

しかしなぜか以前よりも苛ついているようだった。おそらく家に引きこもってないで外に出て働けよとでも思っていたのだろう。

 逃げ続けてきた人間が突然頑張れるはずもなく…

夏休みが終わり、いよいよ後期が始まろうとしていた。

僕は後期をフル単して挽回してやるぞと意気込んでいた。

今頑張れば前期の失敗はなかったことにできると確信しており、未来への期待感と高鳴る鼓動で胸を躍らせていた。

しかし…またしてもサボってしまった。

前期と違ってちゃんと一通り最初の授業に出た。

でも、ペアワークやグループワークがあったり、問題を答えさせられる授業ばかりだった。

そんなの無理…。

人に見られたら顔が真っ赤になって表情が引きつっておしっこでも我慢してるの?っていう状態になっちゃうんだよ。

結局、教授の講義を聞くだけの3つの授業は出ることにした。

それでも常に視線を意識してしまって精神的にはかなりきつかった。

親に振り回される日々

そうして前期と同様かなりの時間が余ってしまった。

図書館はもう飽きてしまったし、どうしようかと考えてdアニメストアを使ってみることにした。

大学の図書館でひたすら見続けていたら時間が経つのがとても早く感じた。

 

ちょうどそのころ親にバイトをしろと口酸っぱく言われていたけど、「授業もろくに出れないやつができるわけないだろ!」と心が叫びたがっていたが、そんなことを言ったら授業に出ていないことがばれて火に油を注いでしまうから言えるはずもなく。

バイトを頑なに拒む僕に対し母のフラストレーションは頂点に達していて、父にキレながら文句を言っていた。

うちの家の壁は薄いから聞きたくもないのに丸聞こえで、涙をこらえながら毛布を耳に当て寝たふりをしていた。

僕が家の中で一番早く帰宅するもんだから、母と二人で無言で晩飯を食べるという地獄の時間を過ごすこととなった。

父が早く帰った日、三人で食卓を囲んでいると「飯がまずい。必死に作ったのに意味ないわ。」と僕の存在に苛つきながら発し、父が母をなだめた。

このころがおそらくこの一年で一番精神的に参っていて、リストカットする勇気がなかったから自分の頭を壁にぶつけたり殴ったりしていた。

できもしないのに頭の中で高いところから飛び降りて死ぬ想像を繰り返してた。

生前整理として断捨離を行ったりもした。

綺麗好きというか強迫観念があって、自分の部屋を整理整頓していないと気が済まない性質だったのに、物を散乱させていた。

なんで自分はこんなに可哀想な人間なんだろうと自問自答していた。

あまりに憂鬱が苦しいため、市販の抗不安薬を2種類ほど飲んでいたがあまり効果はなかった。片方は効いたような気がしたが今思えば気のせいだったんだろう。

精神科に行けばいいのだろうが自己開示するのが怖くて踏み出すことができなかった。

「もう苦しくてダメだ死ぬしかない」「何とかなるよ」の二つの感情が交錯していた。

物事をゼロ百の極端な思考回路でしか考えられなくなっていたのだ。

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母に食事中に文句を言われて以降、以前までは夕方に帰宅していた僕は9時から10時ごろに帰宅するようになった。

すると母は少し機嫌が直ったようだった。

母が怒りをあらわにしたきっかけは、僕が人生を捨てているような投げやりな発言をしたからだ。

もともと僕に対して不満を持っていて、その蓄積がこの発言を起爆剤として機能させたのだろう。

でも誰にも言えない悩みを抱えながら一人で苦しんで悶々とした日々を送っていたら誰だって厭世的な気分になると思う。


 dアニメストアのおかげで夜遅くまで楽に時間をつぶせるようになり、母の機嫌が直ったことで快適に過ごせるようになった。

今までは何でこんな人生送らなくちゃいけないんだよ…と泣きべそかきながら帰路についていたが、この時はとても充実した感覚を持っていた。

母親の機嫌を取るために何個かバイトの面接に申し込んでいたものの、直前で怖くなって携帯を着信拒否にしてぶっちした。

 冬休みに入り、勇気を出して何とか郵便局の年賀状仕分けの短期アルバイトをし、小銭を稼ぐとともに人と関わらない作業系なら自分でも働けるんだという自信につながった。

母親を怒らせないような接し方を身につけたため、年末あたりには自分の精神状態はかなり良くなっていた。

 バイトと精神科

冬休みが明け、また大学が始まった。

短期バイトをした勢いで長期バイトをやれと言われたため、いろいろ面接に応募したが全部ぶっちした。

 郵便局はたくさんの人が順番に面接をする感じだったが、長期のは違って自分がアポを取って一対一で話すのだ。

性質がまるで違うと肌感覚で感じた僕は無意識に、またしても着信拒否をし面接なんてなかったと自分に言い聞かせていた。

親には「ダメだった…」と悲しそうに抽象的に伝えて落とされたと勘違いさせた。

そうすることでバイトのことを僕に言いにくい雰囲気を作り上げることに成功した。

またそのころ、同時に精神科の予約をして対人恐怖という自分の恥ずべき性質を直そうと意気込んでいたが、ずっと誰にも言えなかったことをそう簡単に言えるはずもなく、3回もそれぞれ違う病院を予約しては行かないを繰り返した。

 コロナに生かされている

期末テストが終わり春休みになって、今年こそは頑張らなくちゃと思っていた矢先にコロナが流行りだした。

不謹慎かもしれないが、それは僕にとって春の訪れだった。

バイトはもちろん“できない”し、授業の有無は未定。

「これで当分心置きなく引きこもりニートできる!」

そう思った僕は、この悪夢のような一年間を振り返ることなく、またいつか来る親にこの一年間大学をさぼり続けたことがばれる“終わりの時”に怯えることなく、今この瞬間の楽しさを存分に享受することこそが人生なのだと言わんばかりの姿勢で春休みを満喫した。

 おわりに

以上が僕の歩んできた悪夢のような一年間です。

夢ならばどれほどよかったでしょうね。

思い出すだけでその時の感情が蘇ってきてつらいです。

全部自業自得なのは理解していて、でもだからこそ他人のせいにできない分余計やるせなさを感じるのです。

いまだに何も問題が解決しておらず、今もその延長線上にいます。

今はネット上でしか語れないけれど、いつかこの一年が意味のあったと言える、そして誇れるような人生を送りたいですね。

同じような境遇の方がいれば、こんなどうしようもないやつもいるのだと、少しでも楽になってくれたら嬉しいです。

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。