自殺宣言をした
一昨日、こんなツイートをしてしまった。
詰んだ。
— みぃ (@mukiryoku7) 2020年10月27日
休学願出したら親に電話されるし、このまま学費滞納しても連絡行く
親にバレて怒られるのだけは絶対に嫌なので、近いうちに自◯します pic.twitter.com/YsL8yZErKc
なんで自殺するなんて言い出したのか。
それは一年半隠してきたことが親にバレる日がやってきたからだ。
しかし親にはそのことを言っておらず、今も自室に籠ってオンライン授業を受けたふり
している。
実際は一日中布団に寝転がって天井を見ているのだが。
いつかはばれてしまうが、一日でもそれを先延ばししようと色々模索してきた。
ポストに大学からの手紙が入ってないか確認し、家に電話がかかってくるたびに大学からなんじゃないかと震え上がっている毎日だった。
怒られたくないから、その一心で日々心を消耗させていた。
話を戻すと、僕の目論見では、後期は授業料が払えないため休学して、その期間にバイトしてお金を貯める。
そして来年の前期からちゃんと授業に出るつもりだった。
しかし休学願を取り寄せたら説明書きに、休学願を大学に提出したら親に確認の連絡が行くと書いてあった。
その瞬間、砂の城よりも脆い僕の計画は見事に砕け散った。
じゃあ出さなければいいと思うかもしれないが、その場合も学費納入の催促が親に来る。
完全に八方塞がりなのだ。
いよいよ長かった隠蔽生活が終わりを迎え、親に隠してきたことすべてが明らかになる。
最短で一週間以内にリビングに呼び出されて、激しい怒りをぶつけられるだろう。
間違いなくこの家は修羅場になる。
果たして僕はそれに耐えられるだろうか。
強い希死念慮に襲われるのは必至だ。
それを想像した僕は、あっさり死を意識した。
まるで体に備わっている反射反応のように、極めて自然にその考えが目の前に浮かび上がった。
最善の選択肢はこれだと言わんばかりにそれが合理的に感じた。
親からの怒りと失望によって死に追い込まれるくらいならば、その前に消えてしまおうと。
逃げ癖をこじらせた人間の末路だ。
そして僕はあんなツイートをした。
ツイキャスで死なないでと言われた
そのあとにツイキャスをしたのだが、多くの方に励ましや思いとどまるようコメントを頂いた。
善意でアドバイスしてくれたのに、不貞腐れた態度で返してしまったことに今は申し訳なさを感じている。
意外にも僕に影響を与えたのは、島で自給自足の生活を提案されたことだった。
以前から何度も一人暮らしして親から離れたいと思っていた。
そうすればバレても直接怒られることはない。
だがそのためにはお金がいる。
そこでアルバイトをしようと思ったが、知らない人と話すのが怖くて面接をぶっちしてしまった。
ここ二ヶ月で二回やった。
会場の前までは行くのに、聳え立つビルが仁王立ちして僕を睨みつけるもんだから、思わず体が硬直して立ち尽くしてしまう。
そして入らなければならないという理性よりも恐怖心が勝って、華麗なUターンをキメた。
こんなんだから、親から距離をとるという選択肢も選べず、親と向き合うか死に逃げるかの二つしかないと思っていた。
だが、逃げる先は一人暮らしでも死でもなくて、路上でもいいのだ。
僕はなぜか長期的に継続できることを無意識に求めていたが、一時的にでも親の雷から逃れられるだけで十分なのではないか。
さすがに知らない島には行けないが、貯金を使ってネットカフェに避難してもいいし、路上でホームレス生活をするのもいい。
金が尽きたらその時は潔く餓死すればいい。
わざわざ早まって自分から死を選ばなくても、遅かれ早かれ死ぬのだからそれまであがいてみようかな。
死んだら無になる、けれど失敗したら今以上につらい人生を歩むことになる。
そんな究極のリスクを抱えながら飛び降り自殺を決行するよりも、救いを待ちながら緩やかに死んでいく方が合理的だ。
これからどうするか
胸の内をひとしきり語ったら、不思議と思い詰めていた心が軽くなった。
死に急ぐよりも、もっと良い選択肢があるんじゃないか、そう思った。
“鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥”
秀吉を見習って、良くなるまで待ってみよう。
もちろん行動して現状を変えるのが最善策だとは思うけれど、思い詰めて死に急ぐよりはましだ。
今はただじっと待っていよう。
我慢の時だ。
解決するまで、時の流れに身を任せてみる。