日記

恋人も子供もいない人生なんかに意味あるの?恋愛をして「普通」の人生を謳歌しよう。

ただ生きてるだけじゃ満足できない

僕は現在ニートだが、仮に働けたとしても幸せにはなれないと思う。

親のすねをかじってニートになったり、フリーターとして精神をすり減らしてまで貧困生活を送ることに意味はあるのか。

恋人はおろか、遊ぶ友達さえおらず、ネットで時間を潰す毎日。

ある日突然病気になっても誰にも気づいてもらえず、一人で悶え苦しみ、床のシミとなって一生を終える。

こんな惨めな人生を送りたいと思えるだろうか。

僕はそこまでして生きたいとは思えない。

孤独に生きて孤独に死んでいくなんて寂しすぎる。

運命の人に出会い、素敵な恋愛をして、その人を愛し、愛され、皆に祝福されて結ばれて、子供を作り、幸せな家庭を築く。

たまに喧嘩してもすぐ仲直りして、いずれ子供が大きくなって結婚して、子供を作る。

最期は子供や孫に看取られて逝く。

なんて幸せな人生だろう。

僕はそういう普通の人生が欲しい。

孤独な底辺暮らしなんてつまらないし、そんな生活を強いられるのは絶対に嫌だ。

人並みの幸せを享受できない人生なんていらない。 

このご時世、結婚や子供を持つことは贅沢だという声もある。

結婚、子供、家、車、それらにかかる費用は一億円を超える。

死ぬまで必死に働き続けなければならない。

だけど僕から言わせれば、そんなことすら贅沢な世の中がおかしい。

人間としての当たり前の営みを贅沢だなんて簡単に言えちゃう世の中は狂ってる。

この世に生を受けたなら、幸せになる権利がある。

僕にとって普通の人生は、理想的な生き方だ。

レールから外れた生き方はしたくない。 

「趣味に生きる」は恋愛からの逃げ

恋愛をしなくても趣味があるからいいなんて言う人もいるが、そんなの本心じゃないはずだ。

人間である以上、人に愛されたいという欲求は必ずある。

すまし顔で「僕は他の人とは違います」って態度を取ってみても、それは強がりだと言わざるを得ない。

確かに趣味に没頭すれば、現実を一時的に忘れられるかもしれない。

でもそれは所詮、一時的な逃避行動に過ぎない。

かりそめの幸せだろう。

まやかしに囚われて、本物から目を背けて逃げ続ける偽物の人生だ。

耐えがたい痛みを感じたときであっても、誰かを愛し、愛されることでまた前を向ける。

それが叶わない人生なんてまがい物もいいところだ。

あまりに寂しすぎる。 

恋愛こそ人生の本質

今の若者は恋愛や結婚に冷めた見方をしているらしい。

興味がない、時間の無駄、他にやりたいことがあるという理由らしい。

こんな見え透いた言い訳をするあたり、本人たちも薄々気づいているのかもしれない。

自分たちが逃げているだけだということに。

恋することは人間の本質的な幸せだ。

映画や小説、音楽、ドラマ、あらゆる娯楽で恋愛がテーマとなっている。

言葉のない時代からデジタルが発達した現代まで、何万年と続いている。

そんな素晴らしい文化に興味が湧かないわけがない。

生きる意味であり、最大の楽しみだ。

彼らは傷つくのが怖いだけ。

だからその場しのぎの言い訳をして自分の心に蓋をしている。

そして、年を取って後悔するんだ。

ああ、もっと素直になって、本心で生きたかったなぁって。

甘い恋をしてみたかった…と。

汚らしいおっさんがまた一人、取り返しのつかない人生に絶望して、あの世へ旅立つんだ。

恋愛を楽しんでいる世の中の人を見て、恋愛至上主義だなんて言って馬鹿にする人もいる。

だが、それはただの嫉妬だ。

自分たちが得られない幸福を思う存分謳歌していることが許せないのだ。

所詮、負け犬の遠吠えに過ぎない。

もし彼らに恋人ができようものなら、途端に恋愛の素晴らしさを説き始めるだろう。

モテない男の思考回路なんて想像に難くない。

子供を作ることは素晴らしい

子供がいなくても愛する人がいれば幸せかもしれない。

でも、子供がいればよりよい人生を送れるだろう。

子供を育て、その成長を見ることは、自分の欲求を叶えることよりもはるかに高次元のものだ。

子供を育てることで、人は強くなる。

養う家族のいない独身は社会において信用度が低いことは周知の事実だが、やはり守るべきものがある人間は強い。

妻や子供を守るために、男は一皮も二皮も剥けるのだ。

話す内容に説得力が増す。

人は愛する者のためなら、何度だって立ち上がる。

守るべきものがおらず孤独だったら、いとも簡単に人生を投げ出してしまうだろう。

家族という存在が良い意味で重りとなり、諦めそうになる心を支えてくれる。

子供の無垢な笑顔、妻からのキス、その全てが己の身を、心を燃やす燃料となる。

反出生主義は子供の戯言

近年、子供を産むことは良くないことだ、無責任だという主張が強くなってきているように感じる。

子孫を残し、次の世代に命をつなぐこと、それは古代から人類が紡いできた歴史である。

それを人権がどうのこうの言って今の価値観で否定するのは間違っている。

子供を産み育ててくれる人たちのおかげで、僕たちは社会福祉を受けられている。

この日本という国が豊かなのもその人たちの苦労あってのものだ。

それを棚に上げて権利だけ主張してもまともに受け取ってもらえない。

子供なんていらないと言うのならそれでいいが、子供が欲しい人の邪魔だけはしないようにしよう。

それは国の存続を否定する、いわばテロ行為と言って差し支えないだろう。 

「貧乏人が子供を産むな」「ブスが子供を産んだらその子が可哀想だろ」 

そんな人の心を持たない鬼なんじゃないかと疑いたくなるような意見を見かける。

人が幸せになろうとしてるのに、それにケチつけるのはやめた方がいい。

自分が不幸だからと言って、嫉妬して足を引っ張ったところで誰も幸せにならない。

他人の不幸は蜜の味と言うけれど、快楽を覚えるのは一瞬だけで、その後に強烈な虚無感が襲い掛かるだろう。

長い目で見れば、世の中全体の幸福の総量は減ってしまう。

一億総不幸社会を作りたいのか?

ほんとは他人の足を引っ張って一時的な快楽を得るよりも、ちゃんと自分が幸せになりたいんじゃないだろうか。

世の中の人が自分の心の声を聞いて、己の幸せのために動けば必ず良い方向に行く。

そしたらこの世界はより輝きを増し、生き生きとした人で溢れ返るに違いない。

 

「生まれなければ不幸になることはなかった」「俺は悪くない!産んだ親が悪い!」

反出生主義を利用して、自分の失敗を親に責任転嫁する人もいる。

いい年こいた大人が子供みたいにわがままを言う姿はなんと滑稽か。

子は親を選べないが、親も子を選べない。

「誰が産んでくれって頼んだ!」

なんて親泣かせなセリフを言った暁には、自分にも同じくらい鋭い言葉が飛んでくるだろう。 

責任転嫁すれば楽になれるかもしれないが、気づかぬうちに心の見えないところで罪悪感が蓄積する。

そしてそれは自分の精神を蝕む毒となる。

根本的な解決から逃げれば必ずつけがやってくる。

僕も今までそうだった

この世にあふれる無数の恋愛ソングに嫌気がさしていた。

映画や小説を読んでも、決して手の届かないところにあるそれは、僕の心に底知れぬ寂しさをもたらした。

捻くれた思考で、自分はそんなものに興味はないと耳をふさいだ。

強がりで隠した本音は、大人になって隠しきれなくなった。

遥か昔から人類は様々な方法で愛を歌った。

それに共感できないのは、聞く方に問題がある。

僕は愛を知らない浅い人生を過ごしてきた。

恋愛こそ人間の本質だというのにそれをしてこなかった。 

僕がこの先勝ち馬に乗れないことが確定すれば、負け犬になる前にこの世からの離脱を試みるだろう。

誰からも愛されない無価値な人生を、惰性で続けるつもりはない。

人並みの人生を送るか、来世でそれを実現するために輪廻転生するか。

僕が幸せになるにはその二つしかないのだ。

誰に何と言われようと、下手くそな生き方で、くだらないプライドを守らなければならない。

それが僕に課せられた宿命だから。

不器用だろうが何だろうが幸せをつかみ取る。

「普通」の人生を送ってやる。

そしてそんな姿を皆に見せていきたい。

 

恋をして、愛を知って、初めて人生を楽しんだと言える。

せっかくこの世で生きてるんだから、その舌で味わい尽くそうよ。

甘すぎてとろけちゃうような恋をしよう。

人生は短し、恋せよ人類。

またバイト面接をバックレてしまった。僕は一生働けない。

約30回バイト面接をバックレた

僕はこれまでに何度もアルバイトの面接をバックレしてきた。

正確には覚えていないが、大体30回くらいやった。

電話やネットで応募して、面接当日に会場の前まで行くものの、怖くなってUターンしてそのまま帰ってしまうっていうのを何回も繰り返してきた。

持ち物だけはちゃんと用意して向かうため、履歴書と証明写真が毎回無駄になった。

交通費もそれなりにかかった。

面接会場にすら行かず布団の中で時が過ぎるのを待っていたこともあった。

去年の夏ごろに工場の短期バイトをした。

その時は、多くの人が面接会場に入って行くのを見て心強く感じ、何とか受けることができた。

面接を受けられたはいいが、働き始めて数時間ほどで耐えられなくなって脱走した。 

mukiryoku7.hatenablog.com 

普通のバイトは僕個人のために時間を作り、最初から最後まで一対一で行うからハードルが高い。

その点集団で説明を受け、その後一人ひとり面接を行うのは気が楽だった。

 

大学に入学してから何度も面接バックレを行ってきた。

何もそうしたくてしてるわけじゃなくて、 体が自然と逃げに向かってしまうのだ。

脳内であらかじめプログラムが書き込まれているかのように反射的に逃げてしまう。

バックレるたびに自己嫌悪に陥った。

周りの大学生は、当たり前のように大学に通って授業を受けてバイトもしてるのに、僕は大学に行けずバイトもできない。

バイトが続かないというレベルではなく、働く段階にすら到達しない。

面接バックレを重ねるうちに、劣等感が雲を突き抜けるくらいに積み上がっていった。

環境のせいにできなくなった

年末に不登校奨学金を止められていたことなどが親にばれ、お互いに腹を割って話し合った。

その結果、家族との関係を修復できた。

新しいメンクリに転院し、薬をもらい、2度失敗したコンタクトもつけることができ、何もかも順調にいくように思えた。

これから僕の人生は上り調子で進んでいくんだろうと。

だけど、こんなに環境が整えられてなお以前と同じようにバイトの面接をバックレてしまったら、今度こそ本当の終わりだろう。

これ以上ないくらい道は整備されているのに、転ぶことを恐れて道を引き返してしまったとしたら。

僕の身体は鉛のように重くなって布団に沈み込んだ。

そして、そのまま動けなくなって一日中天井を眺めていた。

ツイッターやブログで威勢のいいことを言ったはいいものの、実力は全然そこに達していない。

気持ちだけが先走って焦燥感が募る。

人生変えてやるんだと意気込んでいたくせに、一向に踏み出せない自分の不甲斐無さに嫌気が差した。

消え去ったと思っていた希死念慮が蘇った。

今死ねば、だらだらと生き続けるよりも幸せなんじゃないか。

中年になって今より醜い姿になったら、誰にも気づかれず床のシミになるのだろう。

あるいは気付かれても、ごみを見るような目つきで処分されるだけだ。

惜しまれて逝ける今こそ、自死を選ぶ最適なタイミングなのではないかという考えが頭の中でぐるぐると渦巻いた。

貯金を使い果たして働かざるを得なくなった 

数日間鬱状態が続いたが、悩んでいても埒が明かないからとネットで求人を探した。

良さそうなところに応募したら、メールが来て1週間後に面接を行うとのことだった。

面接までの1週間は病院に行っていた。

眼科、皮膚科、耳鼻科、歯科などだ。

去年の秋ごろから積極的に病院で診てもらっている。

今までは、めんどくさいし、長年病院に行ってなかったから怒られるのではないかという恐怖心から病院嫌いだった。

しかし、健康な体がないと精神も健康になることはないだろうと思い、頻繁に通うようになった。

保険のおかげで通うほど税金を使えるためお得感がある。

とはいえ3割は払うわけで、貯金が急速に減っていった。

その他に食べ物や飲み物などにお金を費やしていたら、いつの間にか貯金は底をついていた。

奨学金の残りがあったから金銭感覚が麻痺しており、湯水のように使っていた。

親に奨学金を渡してから残りのお金を見て愕然とした。

自分の困窮具合に気付いて焦りが生じた。

働いていないのだから金がないのは当たり前だが、今更になって自覚した。

一度金がなくなって何も買えなかったときに、奨学金に手を付けた。

そこから金が無尽蔵に湧き出てくる感覚に陥っていたのだ。

金がないと心の余裕がなくなるという言葉をよく耳にするが、このとき実感した。

働いて稼がなきゃという気持ちになり、労働に対する意欲が高まった。

 バイト面接当日 

精神薬を飲んで、ちょうどいい時間に家を出た。

面接の受け答えについて少しネットを見たくらいで、それ以外は特に準備や練習などはしなかった。

ある程度緊張はしたが、過度な緊張ではなかった。

近くの店に入り一呼吸おいて、面接の建物に入った。

受付のところに行ったが、セルフレジのため誰もいなかった。

都合のいい言い訳を見つけた僕は、いないなら仕方ないと会員カードを出して客として利用しようと思い操作していたら、ドアから店員が出てきた。

とっさに声が出ず固まっていたら、引き返して中に入って行ってしまった。

おそらく面接に来ているかどうか確認しに来たのだろう。

ここで話しかけるべきだったが、客として機械を操作している僕が面接に来ましたと言うのも変だと思い、何も言えなかった。

利用するときに、名前で面接に来る予定の人だという事がバレて、問い詰められるのが怖くて、利用せずに帰路についた。

帰り道で、もう一生働くことができないと悟り、目に涙が浮かんだ。

働いて途中でやめるのではなく、その前の面接すら行けない。

絶望的な気持ちになり、もう死ぬ以外に選択肢はないと思った。

一生働けないことがわかった

一度壊れてしまった心は、もう二度と元通りになることはない。

どれだけ努力して、変わりたいと願っても無駄である。

心が壊れないようにするのが大事であって、壊れたら何もかもおしまいだ。

これだけ環境が整えられ、あとは僕が勇気を出して頑張るだけだったが、結局以前と何も変わらぬまま時は過ぎ、同じ結果になってしまった。

いくら薬を飲もうが無意味。

逃げ癖が体中に根を張っているから、もう変われない。

何をやっても無駄。

未来に期待なんかするんじゃなかった。

どうせ何やっても同じことの繰り返しなんだから。

労働はおろか、面接にすら行けない人間が生き残れるほど甘い世の中じゃない。

もうそろそろ引き際なのだろう。 

これからどうするかはわからない。

するべきことが何にも思い浮かばない。

今はただ、涙をこらえながら布団の中で浅い呼吸をすることで精いっぱいだ。