最近、自殺願望が今までになく強まっている。
僕はもう長くない。
遅くとも数年以内に、早ければ今月中に命を絶つだろう。
こんな醜い容姿で頑張れるわけない
新年度という節目で頑張ろうと意気込んでいた矢先、次々と不幸が舞い込んできた。
美容師に写真を見せたのに似ても似つかない髪型にされたり、皮膚が荒れて顔に大きなシミができたり、顎関節症が悪化して顎がずれてしまったり、さらには腰に痛みを感じるようになったり。
ただでさえ醜い容姿の持ち主なのに、一体どこまで僕を堕とすつもり?
ブス、M字ハゲ、チビ、顔の形が歪、顔でか、短足、XO脚、少しの刺激で肌が真っ赤になる超敏感肌、毎日風呂に入ってるのにフケまみれで清潔感の欠片もない。
こんな容姿じゃ人に接する機会があってもたちまち腫物扱いされる。
両親の顔面偏差値はかなり高く、今でこそ太って衰えたが、昔の写真を見れば美男美女と言って差し支えない。
なんでその二人から僕のような化け物が生まれてしまったのだろう。
親族もそれなりの容姿をしていて、同い年の二人のいとこも例に漏れずそうで、当たり前のように恋愛経験がある。
一人は社会人として働いてて、もう一人はスポーツ推薦で入った大学をストレートで進級して今は就活中。
大学に行かず、働きもせず、家に引きこもっているのは僕だけ。
こんな状況で親族の集まりに行くなんて絶対嫌だ。
今はコロナのおかげで親の実家に帰省しなくて済んでいるけれど、収まってしまえばたちまち僕の精神は抉り取られるだろう。
見た目だけじゃなくて、挙動も明らかにおかしいし、だみ声で、活舌が悪く聞き返されることも多い。
人の目を見れない、目が合ったら赤面して、表情が引きつって愛想笑いすらできない。
僕は、この世の誰もが憐れみの目を向けるほどの、社会的に障害となる要素をかき集めてできたような人間なのだ。
路傍に転がる石ころが羨ましくて仕方ない。
他人の視界に入る度に、嘲笑の眼差しを向けられないから。
誰の目にも映らない人生は一見悲しそうだが、視線に恐怖する僕にとってはこの上なく幸福に思える。
情緒不安定な僕のせいで家族が疲弊する
僕が人生に絶望して暗い顔で過ごす
↓
家の空気が悪くなる
↓
それを見た母親が不機嫌になる
↓
父が母をなだめる
↓
時間が経って僕の気分が戻り、気が晴れたように振舞う
↓
家族の雰囲気が明るくなる
これを延々と繰り返してる。
大学に行けない、バイトも恥をかいたり怒られるのを想像してしまってできない(面接すら怖くてバックレる)、 人とまともに会話できない、オンライン授業もやる気が出なくてサボる。
家に引きこもって何をするでもなく暇をつぶす日々。
何もできぬまま天井を眺めているだけで、残酷にも時は流れていく。
外の世界に踏み出せなくて、焦って、でも動けなくて、溜息をつく。
僕が社会に出て仕事をしてる姿がまるで見えない。
こんな有様でそりゃ仕事なんかできるわけないよね。
このまま親が死ぬまでニートしてるか、それに耐えかねて死ぬかのどちらかだろう。
希望なんてどこにもない。
どうにかして現状を打破しなければならないのに、己の無力感に打ちひしがれる。
そして人生に絶望する。
この手の施しようのない苦しさから逃げ出したくて、今日死のうか、明日死のうか、来週死のうかって、死ぬことばかり考えてる。
死と隣り合わせの生活は、戦時中の兵士たちよりもつらいと思う。
彼らは死を前にしてもなお勇敢に立ち向かったが、愛する人に無事を祈られ、戦の前は同じ釜の飯を食う仲間と談笑したりして、束の間の喜びがあったはずだ。
だが僕にはそれもない。
たった一人、見えない何かと戦っている。
誰にも応援されず、常に背水の陣で命を賭している。
そんな心境だから、気分の浮き沈みは避けられない。
憂鬱にもがく最中、飯が出来上がったからとリビングに召集される。
我が家には「食事は家族全員そろってしなければならない、自分の部屋で食べてはならない」というルールがある。
どんなに気が進まなくても、ご飯の時間は強制的にテーブルに着かされる。
僕が無言で、受け答えも素っ気ないと、家の空気は自然と重くなる。
父親は気を使って僕に話しかけるが、そのせいでむしろ僕の不機嫌さが引き立ってしまう。
それを目にした母親は苛立ち、僕に「感情の起伏を治せ」と言う。
負の感情を露わにしてしまい、周りの人に気を使わせてしまう自分がほんとに嫌い。
どんなにつらくても笑顔でいられる自分になりたい。
苦しい時こそ表情筋を無理やりにでも引き上げて、いい意味で猫を被りたい。
嬉しくなくても、悲しい時でも、笑顔を作るだけで幸せホルモンが分泌されて気分がよくなったり、鬱が吹き飛ぶという話を聞いたことがある。
そういうことも全部わかってて、でもいざ実行するってなるとどうでもよくなっちゃうんだ。
自分の人生に対して責任感を持ち合わせていないから投げやりになる。
頭ん中ではやろうやろうって思ってたのに、一度糸が切れるともうダメで、一向にできるようになんないの。
昔からこうなのに、今更変えられるわけないんだよ。
家族そろって食べるっていう家庭内ルールを撤廃すれば表面的には解決するのかもしれないけど、両親ともに頑なに変えようとしない。
ひきこもりニートが親に自分の部屋までご飯を運ばせる姿を想像して、そうなることへの危機感を抱いているのだろうか。
一人暮らししたら全部解決する!って思ってたけど、そうしたところで根本的な原因が残ったままだから何も変わらないだろう。
それどころか親の目がないから、安易に物に当たってしまうと思う。
中高時代なんかは、勉強で分からないところがあると教科書や参考書を投げ捨てたり、床に叩きつけたり、ビリビリに破いていた。
物に当たるとさらにイライラしてしまい、感情の高ぶりを抑えるのに苦労したものだ。
僕の父親は仕事帰りで疲れているとき、家のドアの鍵が掛かっていたら、開きもしないのにわざわざドンドンドンッって引いて苛立ちを爆発させることがある。
もしかしたら僕が感情を制御できないのは父親譲りなのかもしれない。
母は父に
「もう疲れた……。」
と愚痴をこぼした。
「何とかなるさ」
父は楽観主義者だ。
「そう言い続けてもう3年経ったけど、何にも変わってないじゃない! いい加減にしてよ! 早く楽になりたい……。」
母はヒステリックな声を上げた。
しばらくして冷静さを取り戻すと、スマホ片手に仕事に取り掛かった。
貯金、祖父母の遺産を取り崩して僕の学費に当てているため、働けど働けどお金は貯まるどころか、減っていく一方だ。
希死念慮のせいで努力できない
ちょっとでも嫌なことがあると「死ねばこんな思いしなくて済むのに」という思考に陥り、猛烈に死に逃げてしまいたくなる。
めんどくさい課題が出たら、
「ふざけんなクソ教師! なんで意地悪すんの? こっちは言われた通り教科書買ったんだからそれに沿ってやってよ……。Fランの必修科目で余計なことされると困るんですけど。あなたのつまらない自己満足に付き合わせないで?!」
と声にならない声で癇癪を起こす。
上手く笑えなかったら死にたい、うまく喋れなかったら死にたい、感情を表に出してしまったら死にたい、将来のことを考えたら死にたい、過去の嫌なことを思い出したら死にたい。
不幸な人生を嘆いて死への欲求を募らせる。
死ねば嫌な思いをしなくて済むし、生まれ変わればできなかったことができるようになるから。
僕はもう、一生頑張れない。
死んで新しい命を手に入れないと、何も掴めない。
自殺が一番の救い
僕にはもう自殺という選択肢しか残っていない。
いや、本当は他にもある。
- ちゃんと単位を取って卒業を目指しつつ、バイトを始めて社会と接点を持ち、家族と食事するときにニコニコ機機嫌よく過ごすという道。
- 大学を中退してこの家を出て、フリーターとして一人暮らしする道。
でも、今の僕はとても臆病で自己肯定感の欠片もない。
こんな状態で今まで逃げ続けてきたことに向き合えるとは思えない。
死んでやり直すっていう一番ずるくて楽な道を選んでしまいたくなる。
今死ねば、若くして死んだ可哀想な好青年として憐れんでもらえる、同情してもらえる。
でも、10年20年先に自殺しても、誰もそんなこと言ってくれないだろう。
中年のおっさんが死んでも、誰一人見向きもしない。
必死に生きてきたのに、あまりにひどい仕打ちでしょう?
これが人間社会の現実。
それが嫌なら、お嫁さんをもらって、子供を作って、必要とされるおじさんになるしかない。
ただのおじさんに価値はないから、付加価値をつけないと。
だから僕は死に急ぐ。
出来る限り早く損切りして、悲劇に見舞われた主人公として、涙と拍手の中で命を終えたい。
今までの苦しみが、最後の最後で報われる気がするから。
浪人時代に希死念慮が始まった
浪人時代、毎日のように夢想していた。
親の説教が始まって僕が
「じゃあ死んでやるよ!」
と吐き捨て、部屋の窓に飛び込み、親の目の前で飛び降り自殺する夢。
当てつけに死んでやろうと思っていた。
後悔させたかった。
罪悪感で苦しませてやりたかった。
当時住んでいた部屋は二階だったから、仮に実行したとしても間違いなく失敗していた。
その時は死ぬために必要な高さを全く知らなかった。
何の知識もなくぼやけた視界の中で、漠然と死が身近なものになっていた。
今でも僕は、死んで一矢報いてやろうと思ってる。
数年経っても僕は、そのときと何も変わってない。
自分の命も人の気持ちも大事にしない、わがままでかまってちゃんなのだ。
自殺一歩手前まで行った
僕の部屋は、皆が想像するごく一般的な引きこもりのそれとは対照的にとても整理されている。
物が少なく、床に物が散らかることはない。
定期的に掃除機をかけるし、毎日換気もしてる。
ニートのくせになぜ? と思うかもしれない。
それは僕が綺麗好きで、一種の強迫観念を持っていることにも起因するが、ここで言いたいのは、以前、自殺するつもりで身辺整理をしたということだ。
二年前の夏、大学一年生の僕は、浪人してまで入った大学に対人恐怖をこじらせたせいで通えなかった。
夢見たキャンパスライフを送れず、絶望した。
高校に入ってから友達ができず、悶々と過ごす日々は、青春を無駄にしている感覚がたまらなく苦しかった。
そう息巻いて、中学の友達の連絡先を全消去した。
胸を躍らせ入った高校で、友達は一人もできず、中学以上の陰キャになってしまった。
リュックを隠されたり、一人ぼっちでいるところを指さして馬鹿にされたり、悪口を言われるいじめも受けた。
昼飯の時間は当然一人で、自分の席で黙々と食べていた。
文化祭は楽しそうな声が鳴り響く中、トイレで息を殺して時間を潰した。
翌年からは休んだ。
それでも何とか卒業できたのは、未来に希望を持っていたから。
「今は苦しいけど、大学に入ればきっと華々しいキャンパスライフが待っている! その後は大企業に入って、たくさん稼いで、美女と結婚して、最高の人生を歩むんだ! 青春を取り戻す!」
そういう幻想を抱いていたから、気持ちが折れないでやり過ごせた。
それなのに、蓋を開けてみたら、また同じような毎日。
むしろ高校時代の比にならぬほどの虚無と絶望が僕の生活を支配していた。
あんなに夢見たキャンパスライフが、毎日大学に行ったふりして時間を潰し、家に帰って、授業を受けたと嘘をつき、どんよりした空気感の中で眠りにつく、この繰り返しになるなんて。
幻想が跡形もなく壊され、将来への期待も儚く散った。
夢が破れるとき、人は死ぬ。
先に心が死んで、それに呼応するごとく奈落の底へ身を委ねる。
僕はその時すでに、心が死んでいた。
閉塞感が部屋に充満していて、
「もういいや。」
そう呟いて、身辺整理を始めた。
本から衣服、家具、そして思い出の品にまで手を付けた。
死後、親に見られたくないものが残らないように、部屋を入念に調べ上げた。
家具を捨てるにはお金と収集までの時間がかかるため、待つのもばかばかしく思い、生前整理半ばで放棄し、死ねそうなところに赴いた。
多くの人が行き交っているのを横目に、手すりに手をかけた。
「ようやく楽になれるんだ……。」
安堵で息が零れる。
ため息とも知れないそれは、商業ビルと青空の隙間に吸い込まれていった。
手に力を込めて上に上がろうとしたとき、それを引き留めるようにある思考が浮かび上がった。
親の悲しむ顔だとか、死ぬことへの恐怖だとか、そんな御大層なものではなかった。
「まだ見たいアニメがたくさんある…!」
アニメに救われた
大学から帰れば、楽しそうなそぶりを見せない僕に対して呆れる母の苛立ちが待ち受けていて、心休まる瞬間がほとんどなかった。
バイトしようにも
「僕の挙動不審さがどう映るだろう……。顔真っ赤になって表情も引きつるし、絶対馬鹿にされる!」
と悪い方にばかり考えて、面接をバックレた。
布団の中で
「つらかった高校時代、唯一心の支えになってた、夢にまで見たキャンパスライフがこれかよ! 死にてえ、死にてえ、死にてえよ……。」
気味の悪い嗚咽を季節外れの毛布に隠した。
外に漏れないように。
「誰か僕のことを殺してくれよ!」
自分で死ぬ度胸がないから、交通事故に巻き込まれないかなとか、突然通り魔に襲われて刺されないかなとか思ってた。
終わりすら他人任せだった。
殺されたら、被害者として憐れんでもらえる気がして。
「可哀想だね」って言って欲しかった。
誰からも必要とされなくて、やることなすこと全部うまくいかなくて、でも全部自業自得だと言われて、軽蔑の目で見られてた。
だからこの体が空っぽの死体になった後だとしても、同情してもらえるのならそれは至極の喜びだと思った。
そんな中、唯一の光がアニメ視聴だった。
ズシンと心にのしかかった黒い重りで壊れそうだった毎日でも、アニメを見ているときだけはそうじゃなかった。
波乱の展開に胸が躍ったし、悲劇的な結末には涙した。
変わり映えしない息苦しさも、アニメの中に入り込めば何のその、刺激的な空気が胸を満たした。
趣味が生きがい、という考えを大げさに思っていたけど、この時ばかりは深く共感を覚えた。
あの世を目前にして、アニメに飽きるまでは生きてみようって思った。
そして僕は、死ぬことをやめた。
今現在、僕に生きがいはない。
もうアニメへの情熱は冷めきってしまって、ほとんど見ていない。
他の趣味も生への執念を持てるほどのめり込んでいるわけじゃなく、もはや僕をこの世に縛り付けるものは何一つありはしない。
僕に唯一残っているのは、来世への希望、すなわち今世への諦めである。
自殺すれば今のしかかっている問題全てが一瞬にして解決する。
幼少期から数々の奇行を犯し、悩みの種だったバカ息子は、記憶の中で美化されるだろう。
僕が死んでも誰も悲しまない。
それどころか、哀しみの涙を顔にこびりつかせながら、心の底では万歳三唱する人だらけだ。
僕にとっても、残された人たちにとっても、僕の自死はとても都合のいい結末なのだ。