こんばんは。みぃです。
今まで何度もブログやツイッターで言ってきたことですが、僕は大学に行っておらず、ほとんどの単位を落として奨学金を止められています。
そしてそのことを親に隠し、さも普通に大学に行って順調に卒業するんだろうと思わせてきました。
ですが昨日、全てバレました。
全部バレました。
— みぃ (@mukiryoku7) 2020年12月30日
学費の催促が親に届いた
きっかけは数日前、親に学費の催促状が届いた。
奨学金が止められているから、学費が払えないためほったらかして滞納していた。
それで「学費納めるか退学するかどっちなんですか」と言わんばかりの文面で親へ督促状が行ったのだ。
父親は特に問い詰めたりはしてこなくて、何か払わない理由があるのかと聞いてきたから「忘れてた」と返して、翌日に払いに行くことになった。
父親に呼び出された。学費の催促が来たらしい。
— みぃ (@mukiryoku7) 2020年12月26日
問い詰められたりはせず、何かあるのかと聞かれたけど、払い忘れただけって言った。
月曜日までに払うことになったけどそんな金ない。終焉ったな。
そして今日、一向に払いに行かない僕に父は
「今から一緒に払いに行こう」
と言った。
「めんどくさいからいいわ」
とふざけた返事をし、そのまま自室に籠った。
すると僕の部屋に入ってきて、何か払えない理由があるのか聞いてきた。
僕はそこからだんまりを決め込み、机の前に座ってスマホをいじり始めた。
父は床に座り込み、僕に耐久戦を申し込んできた。
「スマホしてないでちゃんと答えろ」
と言ってきたからスマホを置き、顔を手で隠して目の前の壁と机の上を交互に見て黙りこくっていた。
そこでイエスかノーで答えられる質問をしてきた。
「学費を払えるだけの金は口座にあるのか」と。
しばらくの沈黙、そして覚悟を決め
「ないです。奨学金を止められたから」
と言った。
父は驚き、 奨学金停止通知、成績表を要求してきた。
少し抵抗したが無駄で、渋々渡した。
それらの書類を見ながら、質問と答えを繰り返した。
こうして、僕の隠してきたすべてが露わになった。
今まで隠してきた全てを理解したとき、父の思いがけない一言が聞こえた。
「気づけなくてすまん」
思わず耳を疑った。
一年半もの間、親を欺いてきた僕に対して怒りをぶつけるものだとばかり思っていたのに、まさか謝られるとは…。
身構えていたが拍子抜けしてしまった。
それと同時に罪悪感を抱き、良心の呵責に苛まれた。
自分はどうしようもないほどクズで親不孝者だなと。
そして
「中退してましたとか、除籍されてたとかだったら手遅れだけど、まだ手の打ちどころがあるから、間に合ってよかった。」
と言い、さて、これからどうしたものかと、これからの心配して、打開策を模索し始めた。
大学に行けなかった理由を伝えた
授業を受けられない理由を問われ、精神疾患(社会不安障害)が原因と説明した。
端的に言うと恥をかくのが嫌だと。
すると父は言った。
「俺だってそうだよ。人間だれしもがそういう感情を持ってる。だけどどうしたって生きていくうえで恥をかくことは避けられないんだよ。」
今までの人生で何度もそうだったし、つい最近も会社で大失敗してしまったらしい。
裁判沙汰になって、上司に怒られ、出世の道は途絶えた。
同僚や部下からはいたたまれないと言わんばかりの視線を向けられている。
でも、家族を養うために、我慢して、精神をすり減らしながら必死で働いているのだ。
休日は母親の代わりにご飯を作ってくれる。
僕は自分のことばかり考えていて、周りが見えていなかったが、実はそういう犠牲のもとに生かされているのだと理解した。
そして能天気に生きてきた自分恥じた。
何なら恨みさえしていたことに後ろめたさを感じた。
一緒に母親にも言いに行こうと言われ、怒られるのが嫌で拒んだが、
「どのみち同じ空間に暮らしていてバレるんだし、確かに怒られはするかもしれないけど、ずっと隠しているよりも楽になれる。年末なんだしすっきりと新年を迎えようよ。」
と言われ、震えながらリビングへ向かった。
ブチ切れられる覚悟で母親に白状したら
父が母に大事な話があると言い、3人向き合った。
父は母に
「あまり怒らないで冷静になって聞いてよ」
と前置きしてくれた。これがすごく大きかったように思う。
まず僕から、
「精神疾患をこじらせてしまい、大学に行ってませんでした。そして奨学金を止められて学費を払えません。」と。
簡潔な物言いだったためか、あまり理解していない様子だった。
僕の潜在意識が、あえて早口で細かい説明を省くことで、母の理解に怒りの感情がすぐに追いつかないようにしていた。
とても小癪な手法を無意識下で行っていたのだろう。
そこで父が丁寧にかつスピーディーに説明してくれた。
母はまず驚き、その後精神疾患について聞いてきたり、今後の学費の心配をしていた。
ブチ切れられると思っていたけどそんなことはなく、またもや肩透かしを食らった。
僕は両親のことを全くわかっていなかったのかもしれない。
精神疾患について母は言った。
「何もしなくても飯が出てくるからそんなことが言ってられる。一人暮らししていて電気や水道が止まったりしたら、恥も外聞も捨てて必死に働くよ」
その通りだと思った。
父にも聞かれたが、隠し続けてどうするつもりだったのか聞かれ、
「もうどうなってもいいやって思ってた。未来の自分に任せる心持ちで過ごしていた。」
と答えた。
一通り説明が終わったところで、贖罪意識に襲われ
「隠していてすいませんでした。」
と言わずにはいられなかった。
僕は両親に頭を下げた。
すると父は
「気づいてあげられなくてなくてすまなかった。これからは人生や進路で悩んでいること、隠さずに相談してくれ。」
と言った。母は
「卒業する気持ちはあるの?」
と意思の確認をしてきた。
僕は
「卒業できるものならしたい、けれど半分は諦めの気持ちもある」
と素直な感情を吐露した。
将来のことなどを軽く話し、とりあえず残りの奨学金を親に渡すことになった。
一緒に銀行に引き出しに行き、その後、父と二人で飲みに行った。
長い長い隠蔽生活が終わった
一年半も隠し続けてきたけれど、いつ怪物が襲ってくるかわからないような暗がりを恐れながらはい回る日々だった。
そんな苦役から今日、解放された。
でも、まだその実感はない。
余りに突然の出来事だったからか、理解はしても感覚が追い付いていない。
ふわふわとした心地だ。
さっきお酒を飲んだのもあるだろうけど、少し体温が高い。
何はともあれ、今年中に解決とはいかないまでも、とてつもなく重い十字架を下ろすことができたのは本当に良かった。
正直、親との関係性が劇的に変わることはないだろう。
母親との間に気まずい空気感は漂い続ける。
ぎこちない会話を少々かわすだけの仲だ。
だけど、何かを隠し続けなければならないというミッションを抱えているのとそうでないのでは、ストレスのかかり方がまるで違う。
何かの拍子に隠している秘密がばれてしまわないか、いつ大学から連絡が来るか怯え、電話が鳴るたびに心臓が止まる毎日。
もうこんな日常を送らなくて済むと思うと感極まる。
無期懲役の拷問刑として牢獄暮らししていた僕は、ようやく出所して、長かった囚人生活にピリオドを打った。
娑婆の新鮮な空気を肺に目いっぱい取り込んで、空に浮かび上がる。
僕はまだ舞える。
暗い気持ちを引きずったままではなく、新たな気持ちで進んでいける。
人生取り戻す。ここから。