日記

人生で初めて精神科に行った話

先日、精神科に行ってきました。

今までずっと足踏みしてきたわけですが、励ましのお言葉を頂いたり、気持ちを文章に書き起こすことで思考が整理されて、やっとこさ重い腰を上げて一歩踏み出すことができました。

本当にありがとうございました。

今日はその時の様子や感想、考察をすべてここに吐き出そうと思います。

最後まで読んでいただけると幸いです。

 時は満ちた

オンライン授業で引きこもりが正当化されている昨今であるが、このまま現状に甘んじていないで、そろそろ動き出して根本的なところから変えていかなくちゃと思った。

そこで精神科を調べると家の近くにあり、評判も良かったため、一か八かで予約した。

しかし、これまで幾度となく精神科に予約し、建物の入り口に立った途端に体が拒否反応を起こし、Uターンしてそのまま泣きながら帰路に就くなんてことを繰り返してきた。

そのような前科を抱えているため、結局これまでの二の舞になってしまうのではないかという恐怖感と閉塞感が頭にこびりついて離れなかった。

電話する段階でかなり緊張したが、声が震えないようにあえて堂々と喋って何とかその場を切り抜けた。

どういうことで悩んでいるのかと聞かれ、「人と話すときに顔が赤くなってしまって、それを見られるのが嫌で学校に行けていない」と答えた。

今までは電話で症状を聞かれることはなかったため少し動揺したが、ブログを書く中で原因や悩みが頭の中で整理されていたのでスムーズに話せた。

当日は時間が来るまで精神科に行くことを考えないようにアニメを見て過ごしていたが、一、二時間前になると頭が働かなくなり内容が右から左に流れて行ってしまったため、布団に転がって心を落ち着けようとした。

しばらく寝転がっていると、うとうとしてきたため、寝坊してはまずいと慌てて身を起こした。

時計を見るといい感じに時間が経っていて、すぐさま出かける用意をして家を出た。

寝そうになっていたためか過度の緊張はなく、心地よいレベルの緊張状態であった。

 人生初の精神科

事前に散歩がてら下見をしていたため、道に迷わず診察の10分前に到着した。

閑静な住宅街の一角、辺りを入念に舐めるように見渡さないと気づかないところにそれはあった。

ひっそりと佇む小さな診療所だったため安心感に包まれ、怖気づき立ち尽くしてしまうことなく、一息ついて呼吸を整えたらすぐにドアを開けた。

入ってすぐ僕と同じくらいの年齢の青年が座っていたのが目についた。

この瞬間「お前もか~!」と同志を見つけた喜びで晴れやかな気持ちになった(少し後に母親らしき人物が診察室から出てきて彼はただの付き添いだということが分かったのだが…)。

待合室は小さな病院特有の狭さと和やかな雰囲気で、リラックスして精神を統一することできた。

突然走り出してここから逃げ出せるかと考えてしまった瞬間もあったが、受付を済ませた以上、保険証を返してもらうまではこの小屋からは逃げられないため、強制的に逃げ癖を抑えられた。

症状などを書く際、ありのままを書くのが恥ずかしく思い、最初は大学生になってから発症したと書いたが、それじゃだめだと思い、高校から悩んでいる旨をしっかり記した。

 いよいよ診察へ 

名前が呼ばれ診察室に入ったら、ヒョロヒョロで神経質そうなおじさんが机に資料を並べ座っていた。

お互いにぎこちない挨拶を交わした刹那、精神科医の第一声が「そんなに大変ですか?」だった。

口コミに書かれていたごく少数の悪評が脳裏をよぎった。

僕は「あ…はい。」としか言えなかった。

少し戸惑ったものの、この医者は煽ったつもりはなく、純粋に言葉の選び方が下手なのだと会話していて感じた。

その後記入した内容をもとに質問され、現在の状況や症状についてのエピソードなどを話した。

人前で赤面してしまう、それを見られるのが嫌で学校に行けていないこと、他人が同じ空間にいることで緊張して排尿することができないことを伝えた。

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その結果、社会不安障害(社交不安障害)だと言われた。

治療法としては薬、認知行動療法森田療法があり、薬を使うことはできないと言われた。

正直薬を飲めば解決すると思っていたもんだからがっかりしてしまった。

社会不安障害の薬は副作用が大きく、自殺念慮を抱いてしまったり不妊の危険性がある。

30歳を過ぎて働いている人は時間がないためやむを得ず処方するが、若いのにそれは可哀想だとのこと。

本当は感謝しなければならないが

「これまでも男女交際なんてしたことねえし、これからもそんな機会はねえよ!余計なお世話!てめえはとっとと薬出せばいいんだよコラ!」

とキレそうになってしまい、何とか抑えた。

どうしても欲しいなら親御さんの同意が必要と言われた。

また、この薬は若い人が飲んでも十分な効果がある例はあまりないらしい。

そこで投薬以外の治療法である二つのうち、森田療法はやっているところが少ないため、認知行動療法を勧められた。

社会不安障害は薬を飲んでも一時的に症状を抑えるだけで寛解するには長い時間を要するため、ものの考え方を変えていくのが基本となる。

主にポジティブ思考に変えることで、例えばコップに半分水が入っているとして、もう半分しかないととらえるのではなく、まだ半分もあるととらえるといった具合だ。

ここではその治療はできないから、できるところを紹介すると言って病院名の書いた紙を渡された。

他には、大学のカウンセリングを利用するように勧められた。

ペアワークやグループワークができないなど、そういう悩みをそこで打ち明け対処してもらうのがいい。

完全に治して人と同じように生活するのは難しいが、外でトイレする際は個室を使ったりすればいい。

オンライン授業で顔出しがあるときはマスクをつけてやるとか、ちょっとづつ慣らしていくことが重要。

「大学に行ったり、友達を作ったり、そういう普通の生活を送りたいんですか?」

と尋ねられて

「そうですね」

と返したが、実際はそんなこともうとっくに諦めている。

最低限生きていけるだけの稼ぎを得るために働きたい、それだけだ。

引きこもると悪化するので外に出て買い物や映画に行くなどした方がよいとも言われた。

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一通り診察が終わり、副作用がない漢方薬を処方された。

浮き彫りになった課題

実は今回言えなかったことがある。

対面で顔がこわばって表情が引きつることと、大学をサボっていたことを親に隠していることだ。

先生は、僕が大学に行けていないことを親は当然知っているものだと思い込んで話を進めていて、まあ普通はそうなるよなぁと思った。

大学からの手紙、成績表、奨学金停止の通知書など、サボっていることがばれそうなものは、ネットなどで事前に来そうな日をチェックしておき、すべて親の手に渡る前にポストに取りに行き回収した。

一度奨学金停止の通知書が予想していなかった日に唐突に来たことがあって、その日たまたまポストを見たら届いていて度肝を抜かれた…。

普通、大学からの親宛の書類や本人の様子からわかるものだが、幸か不幸か奇跡的にばれていない。

それらのことを次回ちゃんと言おうと思う。

おそらくこのことや、バイト、精神科の予約を何度もバックレしたことも含めて、社交不安障害だけではなく回避性パーソナリティ障害があるのではないかと推測している。

「赤面恐怖が治れば大学に行けるんですか?」

と問われ、

「多分そうだと思います…。いや、でもわかんないです…。」

みたいにしか答えられなかった。

確かにそれ以外にも雑談が苦手で礼儀が身に付いておらず、それによって恥をかきたくないから逃げてしまうのではないか。

逃げ癖がついてしまったのがすごく大きいと思っていて、ネットで調べたところによると、これこそまさに回避性パーソナリティ障害なのだと思う。

 これから

症状が出て4年、精神科に行こうと思ってから1年以上誰にも言えず一人で苦しんできたが、初めて対面で吐露した。

 長年行くことが叶わなかった精神科に行けたことで達成感を得て、精神疾患が原因なのに単なる怠け者としか思われない悔しさや恐怖心を解消できた。

どんなにネット上で嘆いたって救いなんかもたらされることはなくて、人間最後は自分で行動していくほかない。

けれど、ネットでの後押しがあったからこそ一歩を踏み出せた。

ツイッターやブログを始めて本当に良かったなと思います。

改めて皆さんに感謝したいと思います。

これからも歩みを止めず頑張っていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。