日記

精神科に行く勇気をください

こんにちは。みぃです。

僕は昔から対人恐怖症とみられる症状で悩んでいました。

赤面症、笑顔恐怖症、排尿恐怖症。

ネットで調べに調べましたが、お医者様にかかっているわけじゃないため詳しいことは言えませんが、これらをひっくるめて対人恐怖症や視線恐怖症というらしいです。

症状が対人恐怖症としか言えないくらい当てはまっています。

今日は学生時代にこの症状になった経緯などについて書きたいと思います。

 犯人探しで赤面

遡れば中学時代、女子と話すのが恥ずかしいという思春期特有の悩みはあったものの、普通に人と話せていた。

ただ、生まれつき自意識が強い傾向にあるのか、一度だけ赤面症が発症した時があった。

ある日、学年全員が呼び出された。

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内容は、トイレに大量のトイレットペーパーが突っ込まれていて、犯人は名乗り出ろというものだった。

僕は当然やっていないので黙っていたが、皆が沈黙している間にふと思った。

もし僕がここでおかしな振る舞いをしたら、濡れ衣を着せられるのではないか。

そう思った途端、顔に血が上っていくのを感じた。

顔面の急激な温度上昇とともに、心臓の心拍数が上がった。

このままじゃ明らかに様子がおかしい僕が疑われてしまうと思った。

「頼むから早く終わってくれ」と祈っていた。

幸運にも、この時は誰も僕の様子の変化に気づかなかったため、何とか無事に事が収まった。

学生の間にささやかれていたのは、僕の友達が犯人じゃないかということだった。

彼は日ごろからよくふざけていたのもあるし、勉強に関してはかなり出来の悪いやつだった。

僕もよく彼と一緒にいたし、自らの意志ではないが問題行動を起こしたことが何度かあるため、疑われても仕方なかった。

だが、結果的に僕が疑われることはなかった。

僕の場合は、コミュニケーションが取れなかったゆえの問題であったり、勉強ができる方だったからある程度信頼されていたのだろう。

彼は普段から自発的にふざけていて、かつ勉強ができないから真っ先に疑われたのだ。

日ごろの行いがこういうところに出るのだなぁと身に染みて感じた。

結局この事件の犯人は見つからず、未解決事件となった。

 視線に怯える高校時代

明確に症状が出だしたのは高校生のころだ。

授業中、室温が高かったため、暑さで顔が赤くなっていた。

そんな僕を見て、クラスメイトは僕が赤面していることを茶化した。

すると僕の顔はますます赤くなった。

その姿はさながら茹で上がったタコであった。

他人に指摘されるほどおぞましい自分の変化に何度泣かされたことか。

 

また、友達がつまらないギャグか何かを言ったときに、愛想笑いできずに表情が引きつってしまった。

別の友達が笑いながら「わかるよ」と共感してくれたからまだ救われたが、ギャグを言った友達のその時の表情は何とも悲しそうだったから、深い罪悪感を覚えた。

適切に笑わないと相手を不快にしてしまうんだと思い、自分の中で笑うことへのハードルが高くなった。

それ以降、人と喋るときは表情を過度に意識してしまうようになり、笑おうとすればするほど顔の筋肉がこわばっていくのを感じた。

家族の前だけは自然に振舞えたが、それもつかの間、次第に外と同じように笑えなくなった。

この出来事が、僕の心に対人恐怖という烙印を刻み込んだ。

 

他にも同じ空間にいると排尿ができないことに苦しんでいたが、それについては詳しくは覚えていない。

中学の時に、用を足しているときに後ろから揺する行為が流行っていて、それに対する恐怖感からなってしまったのかもしれない。

少なくとも高校時代は、人がいなくなった時を見計らってするか、あるいは個室に入ってするかを日常的に行っていた。

隣に人が立ったら怒りがこみあげてきて、その人にとっては理不尽極まりないだろうが「とっととここから消えろ!」と怒鳴り散らしたくなった。

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男子トイレも、女子トイレと同様に全部屋個室にしろと心から思う。

そもそもなぜ男子トイレだけ大事な部分を強制的に人目に晒す造りになっているのだろうか。

体は男でも女の心を持った人に対する虐待であって、この時代にありえないのでは?

そうじゃなくても単純に見られたくないと思うのは自然だ。

なぜなら我々は常におパンツなるものでそれを隠しているではないか。

もし隠さずに露出したなら、あっという間に豚箱行きだ。

同性になら見せてもいいなんて時代錯誤も甚だしい。

 

今では“連れション”なるものがとても輝かしく思えて、まぶしくてくらくらしてしまいそうだ。

 人とのかかわりから逃げた結果、症状が悪化した

浪人してからはさらに悪化した。

高校までは強制的に授業でコミュニケーションをとる機会があったため、最低限人に対する症状が出ないような振る舞い方ができていた。

しかし、浪人になってからは人とかかわることが全くなくなったが故に、どんどん悪化してしまった。

高校までと違っていくらサボっても親にばれることがないから、楽な方へと逃げてしまった。

一年間で家族以外の人と喋ったのは数えるほどだ。

その結果、大学に入学しても人から見られることが極度に苦手になり、オリエンテーションや授業をサボってしまった。

そして前回の記事に書いたように、取り返しにつかないことになってしまった。

mukiryoku7.hatenablog.com

 精神障害に青春をぶち壊された

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これが精神障害であると知ったのは割と最近で、今までは何でこんな性格なんだろうと苦しんでいた。

この障害のせいで高校生活も、今の状況も、そして人生までもどん底だ。

学校帰りにマクドナルドに寄って、コーラ片手に友達と他愛もない話がしたかった。

テスト前に勉強するという名目で集まって、結局雑談に終始するという高校生にありがちな青春のひと時を過ごしたかった。

淡くてほろ苦い恋なんて求めないから、ありふれたささやかな日常が欲しかったんだ。

二度と来ることのない、本当の意味での桜舞い散る春の中で、ずっと夢を見ていたい。

 精神科に行けない

今すぐにでも精神科に行って、薬を処方してもらって、細かいことを気にせず大学に通って、バイトもしたい。

今ならまだギリギリで人生をやり直せる気がするんだ。

失ったものは計り知れなくて、取り返すことなんかできやしないけど、これからの未来はマイナスからゼロにすることはできると思うんだ。

これまでのことを苦労話として語って、それが人生を彩るスパイスだったと言えるような。

恋愛するのは無理だろうけど、友達を作って、大学を卒業して、中小企業に正社員として就職して。

だけどその病気が原因で足踏みし続けている。

行きたいのに行けない。

病気を治すための段階にその病気が進ませてくれない。

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市販薬で抗不安効果があるものを何度も試してみたが、まるで意味がなかった。

精神科医がうちに来いよ!」とまるで見当違いなことを喚き散らしたくなる。

予約するまではできるけど、実際に行くのが怖くて三件もぶっちしてしまった。

今まで誰にも話したことがないし、うまく伝えられる自信もありゃしない。

このままじゃ大学中退してフリーターか、最悪、親にばれる前に自殺するしかなくなってしまう。

 最近じゃ「フリーターも悪くないかも」なんて上から目線で偉そうに思ってみたりもしているが、そこにたどり着くためにはある程度の度胸が必要で、そんなもの持ち合わせていない僕はやっぱり精神科に見てもらべきなのは火を見るより明らかだ。

精神科に行かない限り僕の人生はどん詰まりだ。

今の僕は緩やかに死に向かって三途の川を漂っている。

何もしなければその先に地獄が待ち受けているから、溺れるリスクを冒してでももがくしかない。

 障害者になれない苦しみ

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障害者なのにその肩書が得られないもんだから、ただの怠け者だったり逃げてるだけだと思われる。

親は間違いなくそう思うし、社会だって当然そうだ。

精神障害者というのは、一般的には負の属性として見られることが多いけれども、僕はそれを強く渇望している。

普通の人間でもなければ障害者でもなく、その狭間に一人閉じ込められている。

同じような悩みを抱える人と繋がりたくても、そこに行きつくことができない。

まず同じなのだという証明がないと、障害者として一人前ではないから。

説得力のある医者の証明が必要なのだ。

無国籍の人の気持ちが身にしみてわかる。

どこにも心休まる故郷なんてなくて、あたり一帯広がるのは血も涙も乾ききった砂漠だけ。

誰も救いを与えてはくれない。

いやはや、そもそも救いを求めることが怖くて、自分一人いるこの世界の中心で声にならない雄叫びをあげていても誰も気づきやしないのは当然。

 行かなきゃ人生詰むのに怖くて行けない。

そんなジレンマに押しつぶされている。

 勇気さえあれば

半年くらい前は生きる希望もくそもなかった。

早くこの苦行そのものの人生に別れを告げたかった。

欠点を治すよりも生まれ変わって新たな人生を歩む方が手っ取り早いと感じていた。

来世に希望を抱いても報われるわけではないのなら、いっそ輪廻から解脱して楽になりたかった。

でも今は違う。

他人と比べたり、いい意味で自分に期待せずにのんびり生きてるだけでいいんじゃないか。

そう思えるようになった。

そんなはたから見たら生ぬるい理想を叶えるために、小さいようで大きな一歩踏み出す勇気が欲しい。

 おわりに

この病気がなければこんなめちゃくちゃな人生にはならなかったと思います。

人並みの幸せを享受して普通に生きたかったけど、もうそれは叶いません。

でもどんなに嘆いたってこの障害がない自分や人生なんてない。

だからこそ一生付き合っていかなければならないと感じています。

行動することでしかよくなることはないので、自分なりの幸せを感じながら生きれるように、ほんとにゆっくりかもしれないけど頑張ろうと思います。

 

いつか水戸黄門の印籠よろしく診断書を突き出して、堂々と生きてやるんだ。

対人恐怖をこじらせて一年間大学に行ったふりをしていた話

こんにちは。みぃです。

今日は僕が大学に入学し、授業を受けることなく一年間を過ごしたことを赤裸々に書き綴ろうと思います。

20歳とは思えない行動に恥ずかしくて書くことを憚られますが、ありのままを晒します。

 大学に不本意入学

僕は一年浪人して今の大学に入った。

志望校に落ち、適当に決めた滑り止め校に入学した。

最低でもここは行きたいというラインを昔から持っていたがそれ以下の大学だった。

正直もう一浪してでも上の大学に入りたかった。

親は叱ることなく励ましてくれたが自分の中では全く納得できず、もやもやした気持ちを抱えながらの入学だった。

 僕の通っている大学は入学式の前にガイダンスがあり、そこでほとんどの説明が済み入学式は自由参加のものだった。

親にそのことを伝えたら行けと言われたが、一人で参加するのは嫌だったし、何よりこんなレベルの低い大学の入学式なんか出れるかよと思い行かなかった。

入学式後も何回かガイダンスがあったが、生徒と教授とでご飯を食べるという僕にとって苦行以外の何物でもない時間がありサボった。

親が知ったら絶対キレられるから、行ったふりをして近所を自転車で走り回って時間をつぶしていた。

授業開始前にサークル勧誘期間があったが、裏口から入って声をかけられないようにして逃げてしまった。

「声をかけられて変な反応をしてしまったらどうしよう…。」「それ以前に見た目がキモくて話しかけられなかったらどうしよう!」

高校時代は誰とも関わらず空っぽでつまらない日々を送っていたため、大学デビューしてやると意気込んでいたのに人が怖くて逃げてしまった。

 現実逃避の仮面浪人

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そして授業初日、僕は出席しなかった。

その時間どこにいたのかといえば図書館である。

僕は仮面浪人をすることにしたのだ。

もっといい大学に行けば楽しい大学生活が送れるんだという一縷の望みにかけて。

ただ、本音は授業に出て他人と関わるのが怖かっただけ。

自分の問題を大学に責任転嫁したのだ。

親にばれないように授業の時間割通りに家を出て、図書館で勉強して(スマホいじりが大半)、夕方になったら帰宅する。

こんなサイクルを1ヶ月くらい続けた。

その間、親や親戚にサークルに入れとしつこく言われたが適当にあしらっていた。

そんなこんなで勉強を続けていたが、ふと思った。

スマホばっか見て全然集中できない・・・。」

仮面浪人という最終手段、学費を無駄にして背水の陣を敷いているにもかかわらず本気を出せない。

こんな人間は一生まともな大学に受からないなと悟り、仮面浪人をやめた。

 夏休みになるまで暇つぶし

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仮面浪人をやめたため、授業に出ようかと思ったが、今更出ても単位を取れないし後期から頑張ろうと自分に言い聞かせ、出ることはなかった。

授業に出ないからと言って他にやることもなく、その時間は通学途中にある図書館を何個か見つけ、そこで本を読んだりスマホをして時間をつぶしていた。

大学生にもなって授業をさぼり、日が暮れるまで図書館で無為な時間を費やし、親には授業に出ているとを装っていたが、本当に惨めだった。

一年間浪人して手に入れた大学生活がこれか…って。

 引きこもりの夏休み

そうして夏休み。

やっと長い大学生活もどきを半分終えた僕は一息ついた。

親はまさか自分の息子が大学に行ったふりをして本当は行っていないなんて思いもしていないけれど、サークルに入らず友達がいないことはわかっていたため、かなり気まずい雰囲気になっていた。

そんな中で、長期休みで母親とずっと同じ家にいるのはお互いの精神状態にとって毒だ。

だから僕は夏休み中部屋に引きこもって、ひたすらアニメを見るかネットサーフィンをするか筋トレをしていた。

お互い必要最低限しかかかわらずに済むのだからwin-winだろうと思って。

しかしなぜか以前よりも苛ついているようだった。おそらく家に引きこもってないで外に出て働けよとでも思っていたのだろう。

 逃げ続けてきた人間が突然頑張れるはずもなく…

夏休みが終わり、いよいよ後期が始まろうとしていた。

僕は後期をフル単して挽回してやるぞと意気込んでいた。

今頑張れば前期の失敗はなかったことにできると確信しており、未来への期待感と高鳴る鼓動で胸を躍らせていた。

しかし…またしてもサボってしまった。

前期と違ってちゃんと一通り最初の授業に出た。

でも、ペアワークやグループワークがあったり、問題を答えさせられる授業ばかりだった。

そんなの無理…。

人に見られたら顔が真っ赤になって表情が引きつっておしっこでも我慢してるの?っていう状態になっちゃうんだよ。

結局、教授の講義を聞くだけの3つの授業は出ることにした。

それでも常に視線を意識してしまって精神的にはかなりきつかった。

親に振り回される日々

そうして前期と同様かなりの時間が余ってしまった。

図書館はもう飽きてしまったし、どうしようかと考えてdアニメストアを使ってみることにした。

大学の図書館でひたすら見続けていたら時間が経つのがとても早く感じた。

 

ちょうどそのころ親にバイトをしろと口酸っぱく言われていたけど、「授業もろくに出れないやつができるわけないだろ!」と心が叫びたがっていたが、そんなことを言ったら授業に出ていないことがばれて火に油を注いでしまうから言えるはずもなく。

バイトを頑なに拒む僕に対し母のフラストレーションは頂点に達していて、父にキレながら文句を言っていた。

うちの家の壁は薄いから聞きたくもないのに丸聞こえで、涙をこらえながら毛布を耳に当て寝たふりをしていた。

僕が家の中で一番早く帰宅するもんだから、母と二人で無言で晩飯を食べるという地獄の時間を過ごすこととなった。

父が早く帰った日、三人で食卓を囲んでいると「飯がまずい。必死に作ったのに意味ないわ。」と僕の存在に苛つきながら発し、父が母をなだめた。

このころがおそらくこの一年で一番精神的に参っていて、リストカットする勇気がなかったから自分の頭を壁にぶつけたり殴ったりしていた。

できもしないのに頭の中で高いところから飛び降りて死ぬ想像を繰り返してた。

生前整理として断捨離を行ったりもした。

綺麗好きというか強迫観念があって、自分の部屋を整理整頓していないと気が済まない性質だったのに、物を散乱させていた。

なんで自分はこんなに可哀想な人間なんだろうと自問自答していた。

あまりに憂鬱が苦しいため、市販の抗不安薬を2種類ほど飲んでいたがあまり効果はなかった。片方は効いたような気がしたが今思えば気のせいだったんだろう。

精神科に行けばいいのだろうが自己開示するのが怖くて踏み出すことができなかった。

「もう苦しくてダメだ死ぬしかない」「何とかなるよ」の二つの感情が交錯していた。

物事をゼロ百の極端な思考回路でしか考えられなくなっていたのだ。

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母に食事中に文句を言われて以降、以前までは夕方に帰宅していた僕は9時から10時ごろに帰宅するようになった。

すると母は少し機嫌が直ったようだった。

母が怒りをあらわにしたきっかけは、僕が人生を捨てているような投げやりな発言をしたからだ。

もともと僕に対して不満を持っていて、その蓄積がこの発言を起爆剤として機能させたのだろう。

でも誰にも言えない悩みを抱えながら一人で苦しんで悶々とした日々を送っていたら誰だって厭世的な気分になると思う。


 dアニメストアのおかげで夜遅くまで楽に時間をつぶせるようになり、母の機嫌が直ったことで快適に過ごせるようになった。

今までは何でこんな人生送らなくちゃいけないんだよ…と泣きべそかきながら帰路についていたが、この時はとても充実した感覚を持っていた。

母親の機嫌を取るために何個かバイトの面接に申し込んでいたものの、直前で怖くなって携帯を着信拒否にしてぶっちした。

 冬休みに入り、勇気を出して何とか郵便局の年賀状仕分けの短期アルバイトをし、小銭を稼ぐとともに人と関わらない作業系なら自分でも働けるんだという自信につながった。

母親を怒らせないような接し方を身につけたため、年末あたりには自分の精神状態はかなり良くなっていた。

 バイトと精神科

冬休みが明け、また大学が始まった。

短期バイトをした勢いで長期バイトをやれと言われたため、いろいろ面接に応募したが全部ぶっちした。

 郵便局はたくさんの人が順番に面接をする感じだったが、長期のは違って自分がアポを取って一対一で話すのだ。

性質がまるで違うと肌感覚で感じた僕は無意識に、またしても着信拒否をし面接なんてなかったと自分に言い聞かせていた。

親には「ダメだった…」と悲しそうに抽象的に伝えて落とされたと勘違いさせた。

そうすることでバイトのことを僕に言いにくい雰囲気を作り上げることに成功した。

またそのころ、同時に精神科の予約をして対人恐怖という自分の恥ずべき性質を直そうと意気込んでいたが、ずっと誰にも言えなかったことをそう簡単に言えるはずもなく、3回もそれぞれ違う病院を予約しては行かないを繰り返した。

 コロナに生かされている

期末テストが終わり春休みになって、今年こそは頑張らなくちゃと思っていた矢先にコロナが流行りだした。

不謹慎かもしれないが、それは僕にとって春の訪れだった。

バイトはもちろん“できない”し、授業の有無は未定。

「これで当分心置きなく引きこもりニートできる!」

そう思った僕は、この悪夢のような一年間を振り返ることなく、またいつか来る親にこの一年間大学をさぼり続けたことがばれる“終わりの時”に怯えることなく、今この瞬間の楽しさを存分に享受することこそが人生なのだと言わんばかりの姿勢で春休みを満喫した。

 おわりに

以上が僕の歩んできた悪夢のような一年間です。

夢ならばどれほどよかったでしょうね。

思い出すだけでその時の感情が蘇ってきてつらいです。

全部自業自得なのは理解していて、でもだからこそ他人のせいにできない分余計やるせなさを感じるのです。

いまだに何も問題が解決しておらず、今もその延長線上にいます。

今はネット上でしか語れないけれど、いつかこの一年が意味のあったと言える、そして誇れるような人生を送りたいですね。

同じような境遇の方がいれば、こんなどうしようもないやつもいるのだと、少しでも楽になってくれたら嬉しいです。

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。